源頼朝船出の浜の碑
今年のはじめ、源頼朝の史跡を追って真鶴を訪ねました。
駅を出たらこんなものがあります。
真鶴駅前にある旗挙げ鍋
石橋山の戦いで敗れた頼朝が真鶴へと逃げ延びてきた際、海岸の住民から暖かい鍋料理でもてなしを受けたといいます。
「源頼朝旗挙げフェスティバル」では、当時のレトログルメを再現した究極の料理を作るのに使われるそうですが・・・
実物かなり大きいですよ(^_^;)一体何人前のお料理ができるのでしょうね?
謡坂の碑
治承4年(1180年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝の一行は、箱根山中を逃れでて、岩海岸から房州(千葉県)へ向けて船出しました。その途中、無事を祝い再起を願って土肥実平がうたい踊ったと「
源平盛衰記 」 にあります。
この付近の謡坂という地名は、それに由来するといわれています。
治承4年(1180年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝らが、房州に逃亡する際に船出したと伝えられる岩海岸には「源頼朝開帆處碑」が建てられています。
岩海岸
源頼朝開帆處碑
「誓復父讎擧義兵石橋山 上決輸贏佐公雖昔開帆處謡曲長傳七騎名」
(父の報復を誓って石橋山に義兵を挙げた頼朝が再起のためここから船出した。
従う七騎の名を謡曲が伝えている)
(この碑の裏側です)
源頼朝船出の浜の碑
石橋山の合戦 治承4年 ( 1180年 ) に敗れた源頼朝は、箱根山中や
しとどの窟などに難をのがれ、謡坂を経て、この海岸から房州に向かって船出し、虎口を脱したと伝えられています。
船出に協力した村民たちの鮫追船(さめおいぶね) 2艘については税が免除されたといわれる。
駅からのバスの本数が少ないので、予め時刻表を調べてから訪ねるねることをお勧めします。
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