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2012年12月29日 (土)

三草山合戦 義経とハッタイ

兵庫県小野市にある三草山合戦の史跡を紹介します。

三草山から鵯越に向う途中義経一行が空腹で困っていたので、土地の老婆がハッタイ(焼き麦または焼き麦の粉)を献上しました。義経はその老婆に報いるために粉食(こくい)という姓と、六畝歩の田を与え年貢を免除しました。以後、義経の通った坂を粉喰(こくい)坂と呼び、年貢は明治まで免除されました。このことを記した碑が国位田碑です。

粉喰坂

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樫山町から三木市鳥町へ通じる坂道です。

源平合戦のとき、平家追討の命を受けた源義経は、三草山より一ノ谷へ向かうためこの坂にさしかかった。行き会った老女に道を問い、空腹のため食べ物を乞うた。老女は麦をいぶして作ったハッタイ粉を差し出した。義経らはその粉で腹を満たし、近くの湧き水で喉を潤し坂道を登った。
以後、この坂を「粉喰坂」と呼ぶようになったと伝えられている。(石碑より)

国位田碑

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この建物の横にあります。

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樫山町公民館南側の薬師堂脇に立っています。

この石碑には『 國 位 源御守護神 御免地 』と記されています。一ノ谷へ向かう途中、樫山で休んだ源義経一行は、付近に住むおばあさんからハッタイ粉(麦をいぶして作った粉)を食べさせてもらい、一ノ谷の合戦に勝利することができたそうです。義経は、お礼として六畝歩の田と永代に渡る年貢の免除を与えたとのことです。この付近にその田があり、年貢の免除は明治9年(1876)まで続いたそうです。(石碑より)

義経の腰掛石

戸電鉄樫山駅の西方の竹林内にある巨石です。

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三草の合戦を終えた源義経が、一ノ谷へ向かう途中、樫山(小野市)にやって来て、老婆がハッタイを献上した時、この石の上に腰を掛け、ひと休みしたとのことです。

弁慶の重ね石

神戸電鉄樫山駅南西約1.8Km、案内板から丘陵を少し上がったところにあります。

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ハッタイを食べ、満腹になった弁慶が力一杯投げ上げて積んだという石。

弁慶には豪快な逸話が多いですね。

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コメント

そうそう、ここにも一緒に行きましたね。

でも、これから戦いに行くというのに、はったい粉でお腹を満たしていたのですね。

それでも華々しい勝利を得た・・

義経はすごいです。

投稿: merry | 2012年12月30日 (日) 19時22分

しずかさんの源平の史跡見ていて、小生もか各所の見学で、知らず知らず源平を意識して見てきた1年間でした。
引き続き、掲載される記事を楽しみにしています!

投稿: 四方續夫 | 2012年12月31日 (月) 08時28分

merryさん、私たちにはおやつのようなものに
思えますが、当時は食事代わりだったのですね。
ここに行ったのは、数年前ですが、つい最近のことのように思えます。

投稿: しずか | 2012年12月31日 (月) 17時53分

四方さん、今年一年、わたしの趣味の分野に
合せていただようでありがとうございました!
四方さんは、わたしの知らない源平史跡にも
行ってらっしゃるので、また機会をみてそちらも
訪ねてみたいと思っています。
来年もよろしくお願いしますm(__)m

投稿: しずか | 2012年12月31日 (月) 17時54分

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