三草山合戦 上三草の五輪塔
三草山の戦いは、治承8年/寿永3年2月5日(1184年3月18日)播磨国の三草山における源義経軍と平資盛軍による戦いで、一ノ谷の戦いの前哨戦です。
三草山は標高423.9m播磨と丹波の国境で、古くから軍事上の要塞地でした。

一ノ谷を目指して丹波路を進軍する義経を迎え撃つため、平氏方の平資盛・平有盛・平師盛らが播磨国三草山の西に布陣する。義経は東方に陣をとり、源平両軍が三里ほどの至近距離で対峙する事となる。
丹波との国境に近い三草山は、交通の要所であると同時に険阻な山と深い谷に囲まれた軍事的要衝の地であった。平氏の荘園の地であったと見られ、平氏に地の利があるこの場所が防衛拠点として選ばれたと見られる。
『平家物語』「三草合戦」の段によると、義経は土肥実平を呼び、今晩夜討ちをかけるか、明日の合戦とすべきかを問う。田代冠者信綱が進み出て「明日の合戦となれば、平家の軍勢は増すので、数の上で有利な今、夜討ちをかけるべきです」と進言。義経はそれを受け入れ、夜討ちを決行するべく民家に火を放って進撃した。
夜討ちを予想していなかった平氏軍は武具を解いて休息しており、源氏軍の夜討ちにあわてふためいて敗走し、あっけなく源氏軍の勝利となった。(Wikipediaより)
上三草の五輪塔 
三草山の西の上三草に、鎌倉時代前期の五輪塔があります。
中村家五輪塔の説明版には、その記述はありませんが、三草山合戦の戦死者の供養塔かともいわれています。
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>夜討ちを予想していなかった平氏軍
富士川の戦いでも、倶利伽羅の戦いでも夜討ちで負けているのに、まだ懲りていない平氏軍ですね。
鍛え方が足りなかったようです(笑)
投稿: merry | 2012年12月24日 (月) 13時37分
merryさん
やはり平家の公達はおぼっちゃま育ちで、戦には弱かったようですね。
脇が甘いといつか・・・(^_^;)
投稿: しずか | 2012年12月24日 (月) 15時31分