源義朝を追って(1)碊観音寺
12月のはじめ、比叡山から八瀬を目指して、ケーブルに乗りました。
八瀬ケーブル乗り場から少し北に行った所に、碊観音寺があります。
源義朝が平治の乱に敗れ、逃れる途中、比叡山の僧兵から襲われた時に、岩に観音菩薩を刻み、源家の再興を祈願したと伝えられています。
当山の御本尊碊観音大士は、往者二条天皇の御砌、源義朝卿、平治元年(西暦1159年)12月下旬、平治の乱に敗れ、斎藤別当実盛、鎌田兵衛正清、頼朝、平賀四郎義宣、渋谷金王丸、鷲巣源光、陸奥六郎義隆等の郎党を引き連れ(義朝卿の長男頼朝は13才の初陣であった)東国に落ちる路すがら、ここ千束ケ谷がけの峠にて戦いの疲労にて駒諸共に数十尺の断崖を真逆さまに転び落ちしが不思議にも一寸の傷手もなく身を全うせしにより再び崖をよじ登り、日頃念ずる観音の御慈悲に随喜して峠の大岩に鏃(やじり)を以って観音菩薩の御尊容を刻まれ、源家再興を主従一同共々に願われたのである。(案内板より)
弁財天
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