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2013年2月

2013年2月27日 (水)

源義朝を追って(1)碊観音寺

12月のはじめ、比叡山から八瀬を目指して、ケーブルに乗りました。

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辺りは銀世界

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雪山とうっすら紅葉の残る山とのコラボです!

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八瀬ケーブル乗り場から少し北に行った所に、碊観音寺があります。

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源義朝
が平治の乱に敗れ、逃れる途中、比叡山の僧兵から襲われた時に、岩に観音菩薩を刻み、源家の再興を祈願したと伝えられています。

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当山の御本尊碊観音大士は、往者二条天皇の御砌、源義朝卿、平治元年(西暦1159年)12月下旬、平治の乱に敗れ、斎藤別当実盛、鎌田兵衛正清、頼朝、平賀四郎義宣、渋谷金王丸、鷲巣源光、陸奥六郎義隆等の郎党を引き連れ(義朝卿の長男頼朝は13才の初陣であった)東国に落ちる路すがら、ここ千束ケ谷がけの峠にて戦いの疲労にて駒諸共に数十尺の断崖を真逆さまに転び落ちしが不思議にも一寸の傷手もなく身を全うせしにより再び崖をよじ登り、日頃念ずる観音の御慈悲に随喜して峠の大岩に鏃(やじり)を以って観音菩薩の御尊容を刻まれ、源家再興を主従一同共々に願われたのである。(案内板より)

弁財天

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碊大龍王

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水子地蔵尊

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2013年2月19日 (火)

平清宗の胴塚・清宗塚

草津市野路の民家の庭に、平清宗の胴塚と伝える石塔があり、保存供養されています。

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         平清宗
 

平安後期の公卿、平宗盛の長男、母は兵部権大輔平時宗の娘。後白河上皇の寵愛をうけ、三才で元服して寿永二年には正三位侍従右衛門督であった。源平の合戦により、一門と都落ち、文治元年壇ノ浦の戦いで父宗盛と共に生虜となる。
 「吾妻鏡」に「至野路口以堀弥太郎景光。梟前右金吾清宗」とあり、当家では代々胴塚として保存供養しているものである。
                             遠藤権兵衛家
                             当主 遠藤 勉(現地案内板より)

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          清宗塚

 文治元年三月(1185)に源平最後の合戦に源義経は壇ノ浦にて平氏を破り、安徳天皇(八歳)は入水。平氏の総大将宗盛、長男清宗等を捕虜とし、遠く源頼朝のもとに連れて行くが、頼朝は弟義経の行動を心よしとせず、鎌倉に入れず追い返す。仕方なく京都に上る途中、野洲篠原にて宗盛卿の首をはね、本地に於いて清宗の首をはねる。
 清宗は父宗盛(三九歳)が潔く斬首されたと知り、西方浄土に向い静かに手を合わせ、堀弥太郎景光の一刀にて首を落とされる。同年六月二十一日の事、清宗時に十七歳であった。首は京都六条河原にて晒される。
平清盛は義経三歳の時、あまりにも幼いという事で命を許した。時を経て義経は平家一門を滅ぼし、又義経は兄頼朝に追われ、奥州衣川にて三一歳で殺される。夢幻泡影、有為転変は世の習い、諸行無常といわれるが、歴史は我々に何を教えてくれるのか。(現地案内板より)

こちらは、南草津病院の敷地内の理事長さん宅なのだそうですが、こうして見学させていただけるのはありがたいことです。

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2013年2月13日 (水)

牛若丸と弁慶が主従の誓いを立てた寿延寺(洗い地蔵)

東山区大黒町にある寿延寺は洗い地蔵で有名なお寺です。

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洗い地蔵(浄行菩薩)

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諸病平癒の御利益があるそうで、自分の身体の悪いところと同じ場所をタワシでゴシゴシと洗います。

十禅大明神

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本堂


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中央に釈迦如来と多宝如来を、その右に大黒天、左に鬼子母尊神をお祀りしています。

大黒天

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伝教大師作と伝えられる油涌(あぶらわき)大黒天を祀り、門前から南へ続く現在の大黒町通の名称の由来となっています。

鬼子母尊神

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妙見堂

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妙見菩薩を祀り、厄除開運の霊験あらたかな守護神として人々の信仰を集め、特に眼病に効果があるといわれています。

寿延寺は、十禅師の森の旧跡で、で、牛若丸と弁慶が主従の近いを立てたところといわれています。

境内中庭には、五条大橋旧跡の碑があると聞いて来たのですが、見逃してしまったようですbearing

六波羅蜜寺からこちらに向かう間に、何人かの町の方に寿延寺の場所を尋ねたのですが、知らないと言われ、なかなか辿りつけず、近くの不動産屋さんに聞いてやっとわかった次第です。たぶん洗い地蔵さんと言えばすぐにわかったのかもしれませんね(^_^;)

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2013年2月 8日 (金)

山吹地蔵

JR大津駅の西側に山吹御前を祀る山吹地蔵の祠があります。

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山吹御前は、木曽義仲の便女(武将の側で身の回りの世話をする召使いの女)で、「平家物語」によると、巴御前と共に信濃国から京へと付き添ってきましたが、義仲の都落ちの際、御前は病に倒れたため、義仲に同行できなかったといいます。

山吹御前の供養塚は元は大津駅近くにあったそうですが、駅舎改築のため、大津の義仲寺へ移されました。

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大正10年8月大津駅がここに建設されるまで、この地一帯は秋岸寺という古いお寺でした。
その昔、木曽義仲が粟津が原で鎌倉軍勢と戦って敗れ、今井兼平等多数の部下たちとともに戦死したとき、愛妾山吹御前は京洛から義仲を慕って逢坂山を越えてここまで来ましたが、逢うことができず、秋岸寺境内の竹薮の中で、敵刃に倒れたのです。
後世、有志が薄幸の山吹を弔うために、境内に地蔵尊を刻んでお祀りしていましたが、駅の新設と同時に寺は移転し、地蔵尊は鉄道宿舎の主婦たちの手によって祀られてきました。
昭和50年駅舎改築を機に、りっぱな祠を建ててここに祀ることになり、誰いうことなく「山吹地蔵」と呼ばれています。

                                        大津駅長
                    大津市観光物産課

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佐治誠吉の句碑

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木曽どのをしたひ山吹ちりにけり

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2013年2月 2日 (土)

御上神社

御上神社(みかみじんじゃ)は、滋賀県野洲市にある神社です。

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近江富士の別名もある三上山の山麓に鎮座し、三上山を神体山として祀る神社です。

武士の崇敬が篤く、源頼朝が建久元年(1190年)、足利尊氏が建武3年(1336年)、豊臣秀吉が天正14年(1586年)にそれぞれ神領を寄進しています。

楼門(重要文化財)


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御上神社

一、御鎮座地 滋賀県野洲市三上838
一、御祭神  天之御影神(天照大神の御孫)
一、由緒
 当神社の社記によると、天之御影神は今から2千2百余年前の孝霊天皇6年6月18日三上山に御降臨になったので、神孫の御神祝等は三上山を神体山として鎮祭申上げた。
 降って養老2年、勅命によって現在の地に社殿を造営して遷祀された。
 爾来、朝野の崇敬あつく、清和天皇の御代に正一位、醍醐天皇の御代に明社大社、次に圓融天皇の御代には勅願所と定められ四海大平の祈願を行われた。
 武家政治になっても、源頼朝を始め各武将も尊崇深く神領を寄進奉った。
 明治9年郷社に、大正2年県社に、大正13年には官幣中社に御列格遊ばされたが、昭和22年2月宗教法人になり神社本庁所属の別表社となった。
一、御神徳
 御祭神天之御影神は御神徳高く霊験あらたかで、忌火神、金工鍛冶神、産業神、開運悪魔除けの神として信仰され、当地方は昔から神体山三上山を中心に忌火郷、悠紀郷、むかで退治の神話で有名で、山麓からは24個の銅鐸が発掘され、5~6世紀 の古墳群が現存している。
一、主なる祭日
 新年祭 2月17日
 春季例大祭 5月第3日曜日
 影向祭(山上祭) 旧6月18日
 秋期古例祭(ずいき祭) 体育の日
 神衣祭 忌火祭二の甲に近い土曜日もしくは日曜日
 新嘗祭 11月23日
一、文化財
御本殿(国宝) 拝殿、楼門、若宮社(各国指定重文) 三宮(県指定)
狛犬(重文) 角力人形(県指定) ずいき祭(国指定重要無形文化財)
(案内板より)

三上山は藤原秀郷(俵藤太)のムカデ退治伝説の舞台です。

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三上山のムカデ退治

Hidesato

朱雀天皇の御代に田原藤太秀郷という剛勇の者が、ある日瀬田の橋を渡ろうとすると大蛇が橋上に横たわっていたが、田原藤太秀郷は臆することなく大蛇を踏付け通りすぎた。
その晩大蛇は小男に化け、田原藤太秀郷の剛勇を褒め称え、『吾は竜宮に住む竜神であるが、三上山を七巻き半巻いている大ムカデに悩まされているから助けて欲しい』と頼んだ。
田原藤太秀郷は承諾し、瀬田の唐橋から矢を放ち、一矢は射損じた。二矢目は鏃に唾を付け放ち大ムカデを射止めた。
竜神は大層喜び、御礼として減ることのない米俵や使っても無くならない反物や宝物を贈った。この米俵から田原藤太秀郷の名前を俵藤太と改めた。
(御上神社HPより)

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拝殿(重要文化財)

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本殿(国宝)

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約700年前のもので、神社・仏堂・御殿の3様式が合成された御上造とよばれる建築様式です。

三宮神社

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本殿に向かって右手に鎮座。社殿は室町時代の作、一間社流造檜皮葺。滋賀県指定文化財。

若宮神社

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本殿向かって左手に鎮座。社殿は鎌倉時代の作、一間社流造檜皮葺。国の重要文化財

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