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2013年3月19日 (火)

源義朝を追って(3)甲ヶ淵

八瀬川の少し上流には、義朝一行が東国に落ち延びる際、比叡山の法師に襲われ、家臣の斎藤別当が兜を投げ込み、法師らがそれを奪い合う間に逃げたという甲ヶ淵があります。

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比叡山には、信頼や義朝が打ち負けて大原口へ落ちると噂が流れ、延暦寺・西塔の法師どもがこれを聞いて、「いざ、落人を打ち捕らえん」とて、2、3百人が千束ヶ岳に待ち構えました。義朝がこれを聞いて「都にて、兎も角もなるべきこの身が、鎌田兵衛の他愛も無い申し状に従ってここまで落ちて、叡山の僧兵の手に掛かり、甲斐なく死ぬ事こそ口惜しい」と申しました。齋藤別当・実盛が申すには、「ここをば、この齋藤別当が、御通し致しましょう」とて馬より降り、甲を脱いで手に下げ、髪を乱して顔に振り掛けながら、法師らに近寄って申すには、「右衛門督・信頼殿、左馬頭・義朝殿など主なる人々は皆、大内や六波羅にて討死になされた。
我らは諸国から召し出された借り武者どもにて、恥を忍んで妻子を見んがために、本国へ落ち下る所である。それを打ち留めて、罪作りにも何事かなさるお積りか。武具が欲しいなら差し上げよう。されば、ここを通されよ」と申しますと、「彼の申すとおり、大将ではなさそうだ。木っ葉武者を討っても無益なり。武具さえ脱ぎ捨てれば通してやろうではないか」と法師らが詮議すれば、実盛が再び申すには「法師の方々は多勢にて、我等は小勢なり。されば、鎧甲の数が足らぬ。そこで、我等が武具を投げるに従い、奪い取り給えや」と言えば、前面に立つ若法師が、「汝の申す事も、尤もなり。それも面白かろう」とて、法師が集まって来ました。後から来た老僧も我劣らじと押し寄せて来ました。
法師が競い合うところに、実盛が甲を彼らに向って、ぱっと投げ与えました。
我も取らんと揉み合いを始めた法師らは、敵の面前である事をすっかり忘れてしまいました。
源氏の32騎の兵がこの隙を突き、太刀を抜き放ち甲の錣を傾けて、どっと法師の中に駆け入り蹴散らして通れば、法師らは慌てて長刀を取り直し、漏らさず討てやとて追っ駆けて来ました。実盛が髪を振り乱して大童になり、大きな矢を取ってつがえながら「同じ敵でも、相手によるぞ。我は源義朝の郎等にて、武蔵の国の住人・長井の齋藤別当実盛と申す者なり。捕らえんと思はば寄れや、手柄の程を見せようぞ」とて、取って返して、きっと構えれば、法師の中に弓矢の心得ある者はなし、これは叶わぬと思ったのか。皆そこを引き揚げて帰りました。
(平治物語より)

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源義朝」カテゴリの記事

コメント

八瀬には、義朝が東国に向かって落ち延びる際の伝説の地がたくさんあるのですね。

なかなかここまで知って訪れる人はいないでしょうね。
貴重な記事だと思います。

merryさん、コメントありがとうございます!

八瀬まではそう行けないので、この辺りを調べていたら
かけ観音寺の近くに見つかりました。
大原に向かう途中で下車して訪ねるにも良いですね。

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