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2013年3月26日 (火)

八瀬天満宮

甲ヶ淵よりさらに北に進むと、八瀬天満宮があります。

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学問の神・菅原道真を祀る神社で、境内には9つの摂社が祀られています。

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八幡宮の「矢負地蔵」は、平安時代後期の源平合戦(1180-1185)の犠牲者を弔うためのものといわれています。
672 年の「壬申の乱」で、背中に矢疵を負った大海人皇子が、八瀬の里でその傷を癒したという伝承から、江戸時代まで「矢背(やせ)天満宮」とも呼ばれていました。また、道真が、法性坊阿闍梨尊師(ほんじょうぼうあじゃりそんし)を訪ねに比叡山へ入山する際、休憩をとった場所だとされており、境内には道真が腰掛けたとされる「菅公腰掛石」があります。

祭神として菅原道真(八四五~九〇三)を祀る。道真が亡くなった後、師である叡山法性坊阿闍梨尊意(八六六~九四〇)の勧請により建立されたと伝えられ、社殿の背面扉の内側には、十一面観音絵像が祀られている。十一面観音は道真の本地仏(仏としての姿)である。道真が若い時、自己研鑽のため比叡山へ通う折り、此の地で休息したといわれ、江戸時代まで「矢(や)背(せ)天神宮」とも呼ばれたこの辺りの風情は、壬申の乱(六七二)の際,此の地で矢傷を癒した天武天皇以来の歴史を偲ぶことができる。 天満宮社には九つの摂社が祀られ、本殿南側の秋元神社は、宝永七年(一七一〇)比叡山との境界論争勃発の際、八瀬村の利権(租税の免除)を認めた裁決の報恩として、時の幕府老中で、この訴訟の担当者であった秋元但馬(たじまの)守(かみ)喬(たか)知(とも)を祀り、以来毎年「赦免地踊り」が奉納されている。また裏山中腹には、足利尊氏に追われ比叡山へ逃れた後醍醐天皇の行在所(天皇が外出した時の仮の御所)があった「御所谷」、境内には、「後醍醐天皇御旧跡」、「復租紀恩碑」、「皇后陛下御歌碑」、「弁慶背比べ石」、「菅公腰掛け石」等の史蹟がある。 天満宮社の例祭は五月五日。 秋元神社の例祭「赦免地踊り」(八瀬郷土文化保存会執行)は十月体育の日の前日夜に実施される。                                  
                                       京都市 

八瀬天満宮の参道にある「弁慶背比べ石

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6尺の高さがあるといわれていますが、そのうち1尺(約33cm)は地中に埋まっています。

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コメント

八瀬はたった1度行っただけです!一番の目的は「八瀬の釜風呂体験」がもくてきでした!

四方さんへ

私は八瀬には初めて行きました。

近年、人気があるようですね。

釜風呂はサウナみたいなものですよね?

>矢背(やせ)天満宮

もしかして、この「矢背(やせ)」が「八瀬」の地名の起こりなのでしょうか?

きっとそうなんでしょうね~と勝手に決めました(笑)

merryさん、こんばんは!

たぶんそうなのだと思います。

他にもこのような例がありますね。

釜風呂は現代版のサウナですが、筵(むしろ)が敷いてあって実際に蒸気を入れて蒸すわけです!
北欧のサウナの方に似ています。

釜風呂は現代版のサウナですが、筵(むしろ)が敷いてあって実際に蒸気を入れて蒸すわけです!
北欧のサウナの方に似ています。

四方さん、釜風呂の説明ありがとうございます!

私はサウナが苦手で、お湯につかってのんびりが好きです(#^.^#)

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