長楽寺(1)建礼門院 秘宝展
何度か訪れている東山の長楽寺ですが、昨年12月に、大河ドラマ「平清盛」放映記念 平清盛の娘 「建礼門院 秘宝展 」に出かけてきました。
本堂
長楽寺
寺伝によれば、延暦24年(805)桓武天皇の勅令によって伝教大師(最澄)を開基として創建されたと伝わる。
当初は天台宗の寺院であったが、室町時代初期に国阿(こくあ)上人が中興してから時宗に改められた。
本尊に准胝観音像(じゅんていかんのんぞう)を祀り、洛陽三十三観音霊場の第七番札所でもある。
一条天皇の時(986~1011)に巨勢広高(こせのひろたか)という絵師が当寺で地獄変相の壁画を描いたことが今昔物語にみえており、文治元年(1185)安徳天皇の生母、建礼門院が僧 印誓(いんせい)について剃髪されたところでもある。
また、法然上人の弟子 隆寛(りゅうかん)がここに住み念仏を広めた。当時はこれを長楽寺流と呼ぶほどに世間に知れ渡っていた。
昔は祇園や清水と並んで花の名所と謳われ、多くの文人や画家が訪れたところである。
寺宝には、一遍上人を含む七人の上人像(全て重要文真財)、一遍-宗祖ー、真教(しんきょう)-二祖ー、一鎮(いっちん)-遊行六代ー、尊明(そんめい)-遊行十三代ー、太空(たいくう)-遊行十四代ー、尊恵(そんえ)-遊行十五代ー、暉幽(きゆう)-遊行十七代ーの諸像や建礼門院御遺宝、相阿弥(そうあみ)作と伝わる庭園がある。
また、境内山上の墓地には、江戸時代後期の歴史家頼山陽(らいさんよう)やその弟子頼三樹三郎(らいみきさぶろう)、水戸烈士の墓もある。
京都市(案内板より)
建礼門院 秘宝展
建礼門院画像、安徳天皇画像、安徳天皇の形見の衣で建礼門院が自ら縫った幡や、一遍上人像などが展示されていました。
建礼門院御塔
この塔は、古来長楽寺山山腹八丁台の景勝の地に立っていたが、明治初年この地に移された。
源平合戦の後、元暦二年(1185)五月一日、当寺の阿證房印誓上人により、御髪をおろされたときの御髪塔とも伝え、また、読み物系平家物語には、貞応二年(1223)、鷲尾において69歳で往生の素懐をとげられたとも、また、御遺骨を鷲尾に納められたともあり、その鷲尾が鷲尾山長楽寺(旧呼称)を指しているとすれば、この御塔は、女院の御舎利塔とも拝される。(案内板より)
平安の滝
法然上人の高弟・隆寛律師や建礼門院などが修行された滝といわれています。
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