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2013年6月 6日 (木)

今戸神社

東京の台東区今戸の今戸神社は、康平六年(1063年)源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれています。
また1081年(永保元年)にも清原武衡・家衡討伐の際、戦勝祈願をしたといわれています。幾度か戦乱や火災に見舞われましたが、その都度再建され、現在の社殿は1971年(昭和46年)に再建されたものです。1937年(昭和12年)には隣接していた白山神社を合祀し、今戸八幡から今戸神社と呼ばれるようになりました。

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 当社は元今戸八幡宮と称し、後冷泉天皇の時代康平六年(1063)源頼義、義家父子は勅命に依り奥州の夷賊安太夫安倍貞任、宗任を討伐の折今戸の地に到り、京都の石清水八幡を鎌倉鶴ヶ岡と浅草今津村(現今戸)に勧請しました。
 應神天皇の母君神功皇后は新羅を始め三韓親征の際、時恰も天皇を宿されその帰路天皇を九州筑紫で誕生されました。
従って應神天皇を別名胎中天皇・聖母天皇とも称し、安産子育ての神と崇敬されております。
 伊弉諾尊・伊弉冉尊御夫婦の神は加賀の白山比神社の御祭神にして、嘉吉元年(1441)千葉介胤直が自分の城内に勧請しました。
諾冉二神は子孫の繁栄を与えられると共に縁結びの神と崇敬されております。
 昭和十二年今戸八幡と合祀され今戸神社と改称されました。
 今戸の地名は古くは武州豊島郡今津村と称し、その後今戸(別字今都)となりました。
(案内板より)

また浅草七福神のひとつ福禄寿も祀っています。

江戸時代、浅草に住むある老婆が、貧しさゆえに愛猫を手放したところ、夢枕にその猫が立って「自分の姿を人形にしたら必ずや福徳を授かる」と言いました。
そこで老婆が横向きで片手を挙げた人形を作り、浅草寺の参道で売り出してみたら大評判だったとのことから招き猫発祥の地とされています。

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また、当社は幕末の志士・沖田総司の終焉の地とも言われています。

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これは、結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきているそうです。

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コメント

今戸神社は、源頼義、義家ゆかりの地でもあり、沖田総司ゆかりの地でもあるのですね。


大河ドラマ「新選組」の年は藤原竜也さんが沖田役をやって、カッコ良かったですね。

今年の大河ではあまり登場しないので、残念です。

台東区今戸の今戸神社も東京見学予定メモ帳に記入しました!
それにしても、凄いですね!
5月漸く河内の源氏3代の墓参拝できました後日記事にします。
ありがとうございました。

merryさん、今戸神社も、いろんな時代で記事にできる神社です。

その藤原さん、一般女性と結構することにまりましたね!

今回は・・・イケメンの新撰組でないのが残念(^_^;)

四方さん、ここは目指して行ったのではなく、歩いていて通りかかったのですが、源氏ゆかりの神社で、私にとって収穫のあるところでした(#^.^#)

源氏三代の墓、行かれたのですね!

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