« 曽我兄弟の史跡(7)玉渡神社 | トップページ | 狩宿の下馬桜 »

2013年8月15日 (木)

曽我兄弟の史跡(8)曽我寺

建久4年(1193)源頼朝が、富士の巻狩りを催した折、曽我兄弟は、頼朝の寵臣になっていた父の仇である工藤祐経を討ち取りました。
兄の十郎はその場で討たれてしまいましたが、弟の五郎は、頼朝の宿所にめざしましたが、頼朝の側近に捕えられました。
翌日尋問が行われます。頼朝は五郎が勇気ある武士だということで助命を考えましたが、祐経の遺児の嘆願により処刑されました。

一説には、単なる仇討ではなく、背後には北条時政など政治的な背景があり、兄弟が頼朝の命を狙っていたともいわれています。

身延線入山瀬駅から徒歩5分の鷹岳山・曽我寺には、曽我兄弟の墓、位牌、木像があります。

Img_0791_c Img_0792_c

山門をくぐるとすぐに身代わり地蔵尊

Img_0793_b

Img_0794_b Img_0795_b

参道左手に文殊菩薩像

Img_0796_b Img_0797_b

右手には、三体の地蔵像『一念』『兄弟愛』『親を思う心』が並んでいます。

Img_0798_b

曽我兄弟の墓所

Img_0799_b

曽我兄弟の像

Img_0800_b

本堂

Img_0803_b

薬師如来と虎御前の由来の碑

十郎の愛人・虎御前が弘法大師作と謂われる薬師如来を生涯供養したとことで、770余年前の遺志を継ぎ、新たに薬師如来を安置し祀ったとあります。

Img_0804_b

Img_0805_b Img_0806_b

この他にも、曽我兄弟の史跡は点在していて、「五郎首洗い井戸」もあるそうですが、時間切れになりました。

応援のポチッのご協力お願いします。wink


人気ブログランキングへ

|
|

« 曽我兄弟の史跡(7)玉渡神社 | トップページ | 狩宿の下馬桜 »

コメント

>単なる仇討ではなく、背後には北条時政など政治的な背景があり、兄弟が頼朝の命を狙っていたともいわれています。
当然当時の政治情勢からそのような状況下であったと思慮しますね!

投稿: willy_tsugu_shikata | 2013年8月15日 (木) 06時40分

四方さん、私もその説の方が正しいのではと思います。そのために犠牲になった兄弟も気の毒に感じます。

投稿: しずか | 2013年8月15日 (木) 11時52分

兄は十郎で、弟は五郎だったのですね。
昔の人は、生まれた順番で名前が付けられると思ってましたが、そうではないのですね。

投稿: merry | 2013年8月15日 (木) 15時57分

merryさん、良いとこに気が付きましたね!

私も生まれた順番だと思ってました。

投稿: しずか | 2013年8月15日 (木) 22時45分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 曽我兄弟の史跡(7)玉渡神社 | トップページ | 狩宿の下馬桜 »