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2013年8月

2013年8月31日 (土)

清和源氏発祥の地・多田神社(2)

多田神社の摂社です。

田尻稲荷神社

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旧多田荘の田尻より移築されました。社殿は一間社流造。

厳島神社(弁財天)

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市杵嶋姫命を祀っています。
一間社造りの社殿は室町後期に再建されたものです。

六所宮

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伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野の神々を祀っています。
旧多田院の鎮守社として、また多田荘72ケ村の総社として鎌倉期に創建された神社です。
現在の社殿は室町後期に再建された三間社造りです。

無患子(ムクロジ)

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本州、四国、九州に分布するムクロジ科の落葉高木です。
黒い実は羽子突きの羽子の球として用いられるそうです。

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2013年8月26日 (月)

清和源氏発祥の地・多田神社(1)

阪急電鉄宝塚線「川西能勢口駅」下車。阪急バスにて「多田神社前」で降りるとすぐに鳥居が見えます。

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猪名川にかかる橋を渡ると、多田神社の南大門に行き着きます。

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多田神社
は、兵庫県川西市にある神社で、多田院として国の史跡に指定されています。この地は清和源氏武士団発祥の地であり、この地に居城を構えた源満仲によって天禄元年(970年)に天台宗寺院として建立されました。明治以前までは多田院と称した寺院でしたが、神仏分離の際に神社となりました。

多田神社は清和源氏の霊廟として、源満仲、源頼光、源頼信、源頼義、源義家を祀っています。

現在の社殿は、寛文年間に徳川家綱が再建したものです。

南大門

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多田院のもとの仁王門。
明治4年神仏分離で、仁王像は満願寺山門に移転され、安置されています。

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随神門

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徳川四代将軍家綱公により再興されました。
両脇に築地塀が付いた三楝造と呼ばれる八脚門。

神馬舎

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拝 殿

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徳川四代将軍・家綱公により再興。入母屋造、檜皮葺屋根

本殿

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徳川四代将軍家綱公により再興。桃山時代の姿をそのまま継承した、
素木の入母屋造、檜皮葺屋根

神廟(源満仲、頼光両公の御廟所)

足利尊氏公以下、足利歴代将軍の分骨も収められています。
本殿真裏にあり、禁足地帯になっています。

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2013年8月21日 (水)

狩宿の下馬桜

1193年に源頼朝が富士の巻狩りを行った際、馬から降りた所とされたことから狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになりました。
この時は、もう桜の花は咲いていませんでしたが、毎年4月には、多くの花見客で賑わうそうです。

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狩宿の下馬桜

国 指 定  特別天然記念物
指定年月日 昭和27年3月29日

 この地は「狩宿」といわれ、建久4年(1193年)源頼朝が、富士の巻狩の際に陣屋を設けた所と伝えられる。頼朝の本陣(宿所)は井出館におかれ当時の館は、現在の出井家の北東側にあった。  「狩宿の下馬桜」は、別名「駒止めの桜」と呼ばれ、頼朝が桜の枝に馬をつないだと伝えられる。  この桜は赤芽のシロヤマザクラで、花序4.5センチメートル、花径3センチメートル。開花時期は4月10日から20日頃である。  かつては、目通り8.5メートル、枝張り東西22メートル、南北16メートルの巨木であったが、たびかさなる台風等により損傷し、往時の雄姿はしのばれない。しかし近年若芽の成長により樹勢を盛り返している。  あはれその    駒のみならず見る人の      心をつなぐ山桜かな
                        

                                         徳川15代将軍 慶喜詠

ここから富士山が見えます。

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2013年8月15日 (木)

曽我兄弟の史跡(8)曽我寺

建久4年(1193)源頼朝が、富士の巻狩りを催した折、曽我兄弟は、頼朝の寵臣になっていた父の仇である工藤祐経を討ち取りました。
兄の十郎はその場で討たれてしまいましたが、弟の五郎は、頼朝の宿所にめざしましたが、頼朝の側近に捕えられました。
翌日尋問が行われます。頼朝は五郎が勇気ある武士だということで助命を考えましたが、祐経の遺児の嘆願により処刑されました。

一説には、単なる仇討ではなく、背後には北条時政など政治的な背景があり、兄弟が頼朝の命を狙っていたともいわれています。

身延線入山瀬駅から徒歩5分の鷹岳山・曽我寺には、曽我兄弟の墓、位牌、木像があります。

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山門をくぐるとすぐに身代わり地蔵尊

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参道左手に文殊菩薩像

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右手には、三体の地蔵像『一念』『兄弟愛』『親を思う心』が並んでいます。

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曽我兄弟の墓所

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曽我兄弟の像

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本堂

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薬師如来と虎御前の由来の碑

十郎の愛人・虎御前が弘法大師作と謂われる薬師如来を生涯供養したとことで、770余年前の遺志を継ぎ、新たに薬師如来を安置し祀ったとあります。

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この他にも、曽我兄弟の史跡は点在していて、「五郎首洗い井戸」もあるそうですが、時間切れになりました。

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2013年8月 8日 (木)

曽我兄弟の史跡(7)玉渡神社

富士市厚原に鎮座する玉渡神社。

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兄の曽我十郎の恋人、虎御前が、兄弟の供養のため、終焉の地・井出の里に向かう途中、この祠で休んでいたところ、夜中にふと目をさますと、曽我寺の辺りから、二つの火の玉が飛んできて、虎御前の前まで来ると消えてしまいました。それが、兄弟の魂だと確信した彼女は、その夜から七日七晩、この祠で念仏を唱え、兄弟の冥福を祈りました。

そのけなげな姿を見た地元の人々が、虎御前の死後、当社を建立し、虎御前の冥福を祈ったといいます。

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2013年8月 3日 (土)

曽我兄弟の史跡(6)曽我八幡宮(厚原)

曾我兄弟の仇討ちの舞台の地である県内各地に点在し、厚原にも曽我八幡宮があります。
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こちらは2010年に改修工事が行われたそうです。

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曽我兄弟の父が、工藤祐経に討たれたときは、兄は5歳、弟は3歳だったといいます。

境内には、幼い兄弟がいつか親の仇をとろうと誓い合う像が立っています。

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幼い兄弟の像が愛らしいだけに、悲しみを誘います。

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