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2013年8月21日 (水)

狩宿の下馬桜

1193年に源頼朝が富士の巻狩りを行った際、馬から降りた所とされたことから狩宿の下馬ザクラと呼ばれるようになりました。
この時は、もう桜の花は咲いていませんでしたが、毎年4月には、多くの花見客で賑わうそうです。

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狩宿の下馬桜

国 指 定  特別天然記念物
指定年月日 昭和27年3月29日

 この地は「狩宿」といわれ、建久4年(1193年)源頼朝が、富士の巻狩の際に陣屋を設けた所と伝えられる。頼朝の本陣(宿所)は井出館におかれ当時の館は、現在の井出家の北東側にあった。  「狩宿の下馬桜」は、別名「駒止めの桜」と呼ばれ、頼朝が桜の枝に馬をつないだと伝えられる。  この桜は赤芽のシロヤマザクラで、花序4.5センチメートル、花径3センチメートル。開花時期は4月10日から20日頃である。  かつては、目通り8.5メートル、枝張り東西22メートル、南北16メートルの巨木であったが、たびかさなる台風等により損傷し、往時の雄姿はしのばれない。しかし近年若芽の成長により樹勢を盛り返している。  あはれその    駒のみならず見る人の      心をつなぐ山桜かな
                        

                                         徳川15代将軍 慶喜詠

 

ここから富士山が見えます。

 

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源頼朝」カテゴリの記事

コメント

鶴ヶ岡八幡宮の銀杏の木のように、やっぱり長年の風雪には耐えられず、倒れてしまうのですね。
それでも、若芽が生育しているのは嬉しいことですね。
2代目、3代目と繋げて欲しいですね。

花序4.5センチメートル、花径3センチメートルとは全く大きな花弁ですね!
昨年岐阜県に行った時、日本最大の薄墨桜の分枝があちこちに植えられており、感激したものです!
この狩宿の下馬桜も頑張って欲しいものです!

merryさん、四方さん、コメントありがとうございます!

木も人間と同じく年をとっていくのですから、一生ものではありませんよね。
それでも、歴史を見守るものとして、少しでも長く頑張って欲しいですね。

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