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2013年9月

2013年9月30日 (月)

直會社(なおらいしゃ)

昨年、名古屋市瑞穂区の史跡を訪ねました。

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祭神「直會白龍大神」は、のうらいさま、かさどうさま、かつら姫大神とも呼ばれ、木曽義仲の側室のことをいいます。

直會社(なおらいしゃ)

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寿永三年(1184)木曽義仲軍は、源頼朝の鎌倉軍に「勢田の戦」に敗死。一族逃げまどう中、側室かつら姫が腫瘍で大変難渋。
「おできで苦しむ人を助けてください。とのご意志を残しこの地で亡られ、榎を墓標に手厚く葬られた傳説にいつの世から榎をご神木としてあがめ、「のうらいさま」と親しまれ、霊験も崇で、せんこう、ローソクの火絶えず朝野の信仰をいただき、今でも般若心経の声高らか、神前の小石で体をさすられると、病も癒されると、言われています。
医学の発展に依り、極日の面影はなく「のうらいさま」の御名の由来も不明で榎も今では枯れ、「もくの木」がご神木となっています。

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白龍社

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おできの神様とは初めて聞きました。
いろんな神様がいらっしゃるのですね(^_^;)

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2013年9月25日 (水)

四天王寺の義経よろい掛け松

大阪の四天王寺に義経ゆかりの松があります。

文治元(1185)年、義経が京を逃れ、大物浦から西国に向かおうとした時、一行の船が難破し、和泉国に流れ着きました。

ここから吉野山に逃れる途中、追っ手を逃れ、四天王寺で休息し、松の木に鎧を掛けたことから「義経鎧掛けの松」と呼ばれています。

四天王寺

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義経鎧掛けの松

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特に説明板などはありませんでした。

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2013年9月20日 (金)

頼朝ゆかりの霊水 北口本宮富士浅間神社

北口本宮冨士浅間神社は、富士を拝するする場所として知られ、江戸時代には冨士講の聖地として栄えました。

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隋神門                神楽殿         

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手水舎 

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こちらの水は頼朝が掘ったところから出てきた霊水なのだそうです。

 水舎高札 

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 此の水は、此処から東南1.6キロへだった富士の裾野に湧き出る泉瑞と称される霊水を伏樋でひいたもので往古から當神社の御供水として用いられ、夜増の水といわれる飲料水です。
伝えに、昔右大将・源頼朝が富士野巻狩をされた時、裾野十数里の間、飲むべき清水なく士卒乾きに苦しんだので、公は富士の山神に祈り鞭をあげて巌を掘った処、麗水滾々として涌出したという。これはこの水であり、清く澄み冷たいこと正に天下無類といわれております。
水盤(縦193糎 横283糎 高さ110糎 )は一箇石であり、御水舎(江戸時代中期延享3年約245年前)、は4石柱支えによる雄大荘重比類稀な建築と称さられています。 (案内板より)

拝殿

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本殿

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東宮本殿 

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武田信玄が再建されたものといわれています。

西宮本殿

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富士登山道吉田口        吉田の火祭りに使われる神輿

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2013年9月16日 (月)

離宮八幡宮

JR東海道線「山崎駅」から南西に徒歩約2、3分の所に離宮八幡宮があります。

惣門

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石清水八幡宮の元社にあたる神社で、八幡大神を祭神とします。

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貞観元年(859年)大安寺の僧行教が、豊前国(大分県)宇佐神宮に参詣した際、「私を都に近い男山の峯に移し祀れば、国家を守護しよう」との神託を受けました。帰京した行教が山崎の津で夜の山に霊光を見て、その地を掘ってみると湧き水が出たため、清和天皇の勅命によりその地に石清水八幡宮が建立されました。

その後、嵯峨天皇の離宮「河陽(かや)離宮」跡であったことから、離宮八幡宮となりました。

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また、石清水八幡宮の内殿に灯油を奉納したことから、油座の本所として栄えました。

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貞観年間に、荏胡麻(えごま)油の製造が始まったことから、日本における製油発祥地とされ、その後、荏胡麻油の販売権を独占し、江戸時代まで栄えました。

しかし、幕末の禁門の変の際、長州藩の屯所が山崎にあったため、会津藩に攻撃を受け焼失しました。現在の社殿は、昭和になってからの再建です。

拝殿・本殿

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2013年9月13日 (金)

頼光寺

川西市の頼光寺も美女丸ゆかりのお寺です。

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能勢電鉄畦野駅下車し、北西へ500mほどのところにあります。

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この能勢電鉄の高架下のトンネルを抜けるとくぐると、頼光寺の入り口にがあります。

頼光寺は、源満仲の夫人である法如尼の発願で、子の源賢僧都(美女丸)を開基にして、源頼光の子・永寿が法如尼の念持仏であった地蔵菩薩を本尊として開山しました。

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本堂には北摂七福神寿老人像、源頼光神像が安置されています。

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梅雨時になると、500株ものあじさいが、咲きほこることから、あじさい寺とも呼ばれています。

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2013年9月 9日 (月)

小童寺

美女丸伝説の伝わる源満仲ゆかりの寺は他にもあります。

能勢電鉄山下駅から川西市立川病院を目指して20分ほど歩いたところにある小童寺です。 

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清和天皇の後裔摂津守源満仲公は、仏心篤く我子美女丸を僧侶にすべく中山寺の善観和尚に預けるが、武門の血をひく美女丸は、僧侶になる事えお不服に思い、罪なき人々に乱暴を働く、父満仲は怒り、重臣藤原仲光に美女丸を手討にすりよう命じるが仲光は、若君に刃を向ける事が出来ず悩んでいた。仲光の一人息子十五才の幸寿丸が、父の苦しみを知り、私が若君の身代わりにと自ら生命をさし出す。
幸寿丸「君がため命に代へる後の世の 辞世の歌 やみじを照らせ山の端の月」
この後、美女丸は比叡山の恵心僧都のもとにて出家し、名僧源賢僧都となり、幸寿丸の菩提を弔うため小童寺を建立した。


本堂裏に、藤原仲光・幸寿丸・美女丸の墓があるそうですが、見逃してしまいました(;O;)

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2013年9月 6日 (金)

満願寺

兵庫県川西市の満願寺は、多田神社と同じく源氏にゆかりのある寺院です。

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寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建。

平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えました。

山門

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1881年再建のモダンな造りの仁王門です。仁王像は、もとは、多田院山門にあったもので、神仏分離の際、移転されました。

本坊 (旧円覚院)

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満願寺金堂

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毘沙門堂

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観音堂

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石造九重塔 (国の重要文化財)正応6年(1293年)造立の銘があります。

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八幡神社               稲荷神社

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坂田金時の墓

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美女丸・幸寿丸・藤原仲光の墓 室町時代造立

美女丸伝説

源満仲は、素行が悪い末子の美女丸を修行させるため、寺に預けました。しかし、これを不満に思った美女丸は、和歌や管弦もできず、経文も読むことができなかったのです。怒った満仲は、家臣の藤原仲光に美女丸の首をはねるように申しつけましたが、主君の子の命を奪うことなどできず困っていたところ、仲光の実子の幸寿丸が、自分が身代わりになると申し出ました。
仲光は、泣く泣く、幸寿丸の首を打ち、美女丸逃したのでした。
後にそのことを知った美女丸は、今までの自分の行いを悔い改めて比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闍梨という高僧になりました。

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源家の七塔 - 源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔

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