満願寺
兵庫県川西市の満願寺は、多田神社と同じく源氏にゆかりのある寺院です。
寺伝によれば奈良時代、聖武天皇の勅願により勝道上人が創建。
平安時代中期には源満仲がこの寺院に帰依し、以来源氏一門の祈願所として栄えました。
山門
1881年再建のモダンな造りの仁王門です。仁王像は、もとは、多田院山門にあったもので、神仏分離の際、移転されました。
本坊 (旧円覚院)
石造九重塔 (国の重要文化財)正応6年(1293年)造立の銘があります。
美女丸伝説
源満仲は、素行が悪い末子の美女丸を修行させるため、寺に預けました。しかし、これを不満に思った美女丸は、和歌や管弦もできず、経文も読むことができなかったのです。怒った満仲は、家臣の藤原仲光に美女丸の首をはねるように申しつけましたが、主君の子の命を奪うことなどできず困っていたところ、仲光の実子の幸寿丸が、自分が身代わりになると申し出ました。
仲光は、泣く泣く、幸寿丸の首を打ち、美女丸逃したのでした。
後にそのことを知った美女丸は、今までの自分の行いを悔い改めて比叡山で修行に励み、やがて源賢阿闍梨という高僧になりました。
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兵庫県川西市の満願寺!
見事なお寺ですね!
攝津は余り見学できてないので早く見学に行こうかと考えています!
観音堂をもっと拡大されたのが見たかったので写真をクリックすると大方2500ピクセルの大画面ででてきました。良かったですよ!
小生の記事は全て720ピクセルで自動縮小で入力していますから、全ての写真はクリックしてもらうと720ピクセルの画面がでてきます!
投稿: willy_tsugu_shikata | 2013年9月 6日 (金) 06時46分
>源家の七塔 - 源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基
・・・誰が誰だか、さっぱり分かりません。
平家もよく似た名前でややこしいですが、源家も同じですね。
投稿: merry | 2013年9月 6日 (金) 21時32分
四方さん、ここは大阪に宿泊した際、一日乗り放題切符を利用して、回りました。
近畿地方は、観光するのに便利な切符が多くて助かります。
投稿: しずか | 2013年9月 7日 (土) 09時52分
merryさん、長年源氏、平家の武将を追っているのに、いまだに頭の中がごっちゃごっちゃになりますよ(^_^;)
投稿: しずか | 2013年9月 7日 (土) 09時53分
<清和源氏における多田源氏を中心とした系譜> 太字は嫡統。太線は実子、細線は養子。
源満仲
┣━━━┳━━━┓
頼光 頼親 頼信
┣━━━┓
頼国 頼家
┣━━━┓
頼綱 国房
┣━━━┓
明国 仲政
┣━━━┓
行国 経光
┣━━━┓
頼盛 頼憲
┣━━━┳━━━━━━━━━━━┓
行綱 知実 高頼
┏━━━┳━━━╋━━━┳━━━┳━━━┓ ┃
行定 行実 定綱 基綱 行盛 行忠 資国
┃ ┃
光綱 重綱
|
重綱
┃
宗重
┃
長重
┃
重国
上記は多田源氏の系統図ですが、光国はでてきません。良く名前を変えています。のち多田源氏は源義経と同様に源頼朝から御家人を外されています。源氏の長者は武家源氏で無く貴族源氏の久我家が持っており、足利義満の時初めて源氏の長者の名称がわたったそうです。河内源氏が天下を取ったものは東北・関東の武家を配下に置いたところから源氏の統領のようになったそうです。
投稿: willy_tsugu_shikata | 2013年9月 8日 (日) 09時10分
四方さん、補足ありがとうございます。
系図を見ながら頭に入れるのがベストだと思います。
昨年は、満仲の周辺を調べましたが、自分が追えるのも、この中のごく一部なのでしょうね。
投稿: しずか | 2013年9月 8日 (日) 09時27分