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2013年10月 5日 (土)

藤原師長ゆかりの史跡(1)小袖懸けの松

名古屋の栄のシンボルともいえるテレビ塔

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そのふもとにある小袖懸けの松

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この松には次のような伝承が残されています。

そのひとつとして、藤原師長に関するものです。

藤原師長は、大河ドラマで、山本耕史さんが演じた藤原頼長の息子に当たります。

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 この地は、名古屋大地の東端線に位置し、名古屋城築城以前は、自然に恵まれ、眺望のよいところであった。築城後は、基盤割の街づくりがされ、この辺は、袋町筋と本重筋の間で町人の町・小塚町(のち、小市場町と合併)として栄えた。
その昔、この地に「小袖懸けの松」と呼ばれた古い松があり、古書に多くの伝説が記されている。
1.治承3年(1179)平清盛により京を追われ井戸田(現瑞穂区)に謫居していた太政大臣藤原師長に関するものである。師長が謫居一年余の後、赦免され帰京の際、彼に馴れ仕えた娘に愛用の琵琶を贈った。娘は恋慕を押さえきれず、送別の帰途、古松に小袖をかけ、入水したという。
2.いつの時代か不明であるが、兵乱のため、この辺の人々が四方に逃避し、乱が止んでそれぞれが地元に帰った。しかい、長者の娘は帰らず、両親は八方探し回った。娘の小袖が古松にかかっているのを見つけた。両親は悲嘆、小袖を埋め、塚を作ったという。

 人々は、その松を「小袖懸けの松」または「小袖松」といい、この辺りを「小袖塚」というようになった。

藤原師長

藤原頼長の次男で、保元の乱のあと土佐に配流された。後白河院政のもとで太政大臣、従一位となるが、治承3年(1179)清盛により尾張に流されて出家した。管弦、今様、声明に通じ、琵琶の名手でもあった。
藤原師長に関して、名古屋には他にもゆかりの史跡があるので、次の記事で紹介致します。

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コメント

しずかさんは名古屋も大変詳しいですね!
感嘆!

投稿: willy_tsugu_shikata | 2013年10月 5日 (土) 07時25分

藤原氏は名前がややこしいので、師長と聞いてもピンときませんでした。
でも
>山本耕史さんが演じた藤原頼長の息子
と聞けば、すぐ理解できました(笑)

父・頼長に連座して土佐に流されたのですか。
そして、さらに尾張にも・・

波瀾万丈の人生ですね。

投稿: merry | 2013年10月 5日 (土) 20時06分

四方さん、名古屋は近い方ですからね。

でも、今年はまだ行ってません。

投稿: しずか | 2013年10月 6日 (日) 10時35分

merryさん

役者さんの名前を添えた方がわかりやすいですよね(^_^;)

山本さんは、大好きな役者さんのひとりです!

投稿: しずか | 2013年10月 6日 (日) 10時37分

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