藤原師長ゆかりの史跡(2)藤原師長謫居趾
藤原師長の瑞穂区に伝わる史跡を訪ねました。
師長の法名「妙音院」ゆかりの妙音通を南に下ると、嶋川稲荷社があり、鳥居の後ろに、「藤原師長謫跡」の石碑があります。
藤原師長謫居趾
太政大臣藤原師長は平清盛の勘氣を被り治承
3年(1179)11月井戸田村へ流されて来た。
花の朝な夕べ琵琶を弾じて京をしのんだ。
後に出家して妙音院と号したが、これが今の
妙音通の地名の起りである。身辺の世話をした
村長の横江の娘と契り師長が帰洛を許されるとき
土器野里(枇杷島)まで送ってきた娘に形見として
片貝の琵琶白菊を与えた。娘は悲しみのあまり
その形見を抱いて側なる池に身を投じたという。
四つ緒のしらべもたえて三瀬川
沈みはてぬと君につたえよ
(案内板より)
嶋川稲荷社からさらに南に進むと、山崎川にかかる師長の名が残る「師長小橋」があります。
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名古屋には藤原師長史跡が数多くあるのですね!
>師長小橋より東に進むと「師長橋」と橋にまで名前が付いていますね。凄いですね。
投稿: willy_tsugu_shikata | 2013年10月10日 (木) 06時37分
四方さん、橋にまで名が付くとは、いかに師長がこの地に根付いていたかがわかりますね!
投稿: しずか | 2013年10月10日 (木) 10時34分
妙音通りとか、師長橋とか、今でも名前が受け継がれているのが素晴らしいですね。
>娘は悲しみのあまり その形見を抱いて側なる池に身を投じたという。
名古屋と京都。
今なら近いのにね(T_T)
投稿: merry | 2013年10月10日 (木) 22時45分
merryさん、名古屋は何度も行っていますが、この辺りは降り立ったのがこの時初めてでした。
史跡に名前がついていると探しやすいですね。
投稿: しずか | 2013年10月10日 (木) 22時51分