名古屋の鎌倉街道
名古屋瑞穂区の龍泉寺から鎌倉街道の案内板を探して歩いてみました。
鎌倉街道とは、各地より鎌倉に至る道路の総称をいいます。
源頼朝による鎌倉幕府開府に伴って、文化の中心京都と鎌倉を結ぶ道路として開けた。
海部郡萱津から中村区稲葉地、米野から瑞穂区大喜、高田村を経て井戸田村へ入り、ここから桜、古鳴海方面へぬけたと伝えられる。(徇行記)今から700年前の瑞穂区は、随所入海となっており、干満の間に急いで渡らねばならず、満潮時には八事方面を迂回したという。
(井戸田学区連絡協議会)

この街道、かなり道幅が細いです。
この道を行けば、鎌倉に行けるわけですね。
このような古道が残されていると、歴史を振り返るのがより面白くなります。
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現在の日本の形・基礎は全てこの鎌倉時代に作られたと良くいわれています。
小生もそう思慮していますよ。
投稿: 四方つぐお | 2013年10月23日 (水) 06時31分
四方さんへ
>現在の日本の形・基礎は全てこの鎌倉時代に作られたと良くいわれています。
古道がどのように繋がっているか追って行くと、当時の様子が見えてきますね。
投稿: しずか | 2013年10月24日 (木) 11時21分
今は狭い道だけど、当時は国道の役割をしていたのですね。
>干満の間に急いで渡らねばならず
酷道ですね(笑)
投稿: merry | 2013年10月24日 (木) 15時53分
merryさん、当時はどんな状態の悪い道でもどうにか通って鎌倉に向かっていたのですね。
投稿: しずか | 2013年10月26日 (土) 11時59分