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2013年11月

2013年11月28日 (木)

三井寺の弁慶の引き摺り鐘

園城寺(おんじょうじ)は、滋賀県大津市にある、天台寺門宗の総本山で、山号は長等山(ながらさん)。三井寺という通称を持ちます。

広い境内の中に、弁慶ゆかりの鐘があります。

弁慶の引き摺り鐘

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俵藤太こと藤原秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われ、その後比叡山と三井寺の争いに際して、弁慶が奪って比叡山に引き摺り上げたが、鐘が「イノー」(「帰りたいよう」)と鳴ったので、弁慶が怒って谷底へ捨てたという伝承があります。(^_^;)

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鐘の表面に見られる擦り傷やひびはその時のものだと。(@_@;)

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しかし、史実では、この鐘は文永元年(1264年)の比叡山による三井寺焼き討ちの際に強奪され、後に返還されたものだそうです。

弁慶の汁鍋

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こんな大きな鍋で?(@_@;)

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弁慶については、豪快なエピソードが付き物ですね!

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2013年11月25日 (月)

還来(もどろぎ)神社

昨年訪ねた大津市伊香立途中町にある還来(もどろぎ)神社です。

早いものでそろそろ一年になります。

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社殿によれば、ご祭神である藤原旅子は、父・藤原百川の荘園である龍華壮の別邸で生まれ、蓮華夫人と呼ばれました。その後、桓武天皇の夫人になり、大伴親王(後の淳和天皇)を産みました。

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786年、薨去する際、故郷の比良山南麓の梛の下に埋葬するように遺命し、この地に祀られました。再びこの地に帰ってきたことから、還来大明神と称されたといいます。

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また、平治の乱に敗れた源義朝が敗走中に当社に立ち寄り、白羽の鏑矢を奉納して武運を祈り、後に息子の頼朝が、平家との戦いに勝利し、神田を寄進したといいます。

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これらの故事により、戦乱の際、無事に帰還することを祈願する人々が参詣するようになりました。

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鳥居横のイチョウが、見事に色づいていました。

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2013年11月20日 (水)

兵庫・ブロガー100人戦国トリップ

pencil兵庫・ブロガー100人戦国トリップpcの企画に参加し、

兵庫県を旅した記録「兵庫の歴史ぐるり旅 が公式サイトに掲載されました。

  • shine神戸・阪神地方 しずかの旅shine 三泊四日のレポを公開していますsign01
  • ぜひぜひご覧ください!
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                 コチラ

    記事はこちらをお読みください!heart02大河ドラマに恋してheart02

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    2013年11月16日 (土)

    西行と頼朝

    文治2年(1186)8月、西行が東大寺再建の責任者である重源の依頼により、奥州への砂金の勧請に行く途中、鎌倉に立ち寄り、源頼朝と会見したという有名な話があります。

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    (伝源頼朝像)

    その時の様子を「吾妻鏡」はこう伝えています。

    文治2年(1186)8月15日、頼朝が、鶴ヶ岡八幡宮に参拝すると、鳥居のあたりに老僧が徘徊している。
    これを梶原景時の長男・梶原景季が問いただしたところ、西行と名乗った。
    頼朝は西行を自宅に招き、歌道や弓馬についていろいろ尋ねた。
    西行は若い頃は弓馬もやったが、出世した今はすべて忘れたと言ったが、あまりにも頼朝が熱心に聞くので、兵法について語ったという。
     

    頼朝は西行が語る弓馬の故事を側近の藤原俊兼に書き取らせた。 

    翌16日  

    頼朝はお礼に銀の猫を贈ったが、西行は通りで遊んでいた子どもに惜しげもなくあげてしまったという。
    西行の今回の旅は、東大寺再建の責任者である重源の依頼により、奥州への砂金の勧請に行く途中、鎌倉に立ち寄ったということである。
     

    陸奥守・秀衡公は、西行法師の遠戚の一族にあたる。

    銀の猫のエピソード・・・西行は無欲な人だったのでしょうか?coldsweats01

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    2013年11月 8日 (金)

    双林寺

    西行庵から双林寺へ。

    西行堂に安置されていた西行法師僧像は、現在こちらの本堂でお祀りされています。
    (拝観不可)

    双林寺(そうりんじ)

    金玉山と号する天台宗の寺である。
    延暦年間〔782~805)に尾張連定鑑(おわりのむらじじょうかん)が伝教大師ー最澄(さいちょう)-を開基に招じて創建したのが当寺の起こりと伝えられる。
    その後、鳥羽天皇の皇女入寺などもあって栄え、広い境内と多くの塔頭子院(たっちゅうしいん)を有したが、中世になって衰微するに至った。
    応永年間(1394~1427)に国阿上人(こくあしょうにん)が再興し、時宗一派の本山となり、東山道場と称したが、応仁の乱後再び衰え、明治維新のとき天台宗に改まった。
    更に、明治の中頃、円山公園が設置された際に多くの寺地を失い、現在は本堂の一宇にその名残をとどめるのみである。
    本堂に安置する木造薬師如来座像(重要文化財)は平安時代の翻波式衣文(えもん)がよく表現されている。
    この地には、かって、西行(さいぎょう)、平康頼(たいらのやすより)、頓阿(とんあ)などが庵住したと伝えられ、本堂の南西飛地境内地には今も西行堂が建つ。また、豊臣秀吉もここで花見の宴を催したといわれる。
                京都市(案内板より)

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