« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »

2013年12月

2013年12月31日 (火)

一年ありがとうございました

今年も当ブログへの訪問&コメントありがとうございましたhappy01

後半はあまり更新できませんでしたが、来年もマイペースで地道に続けて行きたいと思っています。

皆様の応援引き続きよろしくお願いしますm(__)m

良いお年をお迎えくださいfuji

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (2)
|

2013年12月24日 (火)

温泉寺の清盛塔

有馬温泉の温泉寺を訪ねてみました。

Img_3424

724(神亀元)年、行基が有馬温泉を開いたとき、みずから薬師如来像をつくり、堂を建てて安置したのが始まりと伝えられ、鎌倉時代、仁西が再興し、中輿の祖としています。

薬師堂
Img_3430

1576(天正4)年火災で焼失しましたが、秀吉によって改修が行われ、薬師堂は、北政所によって再建されました。その後、再び火災に遭い、1782年に現在の薬師堂が建てられましたが、明治の廃仏毀釈によって、温泉寺は廃寺となり、薬師堂だけが残されました。

温泉寺境内には池之坊満月城遭難者慰霊塔があります。

1968年(昭和43年)の老舗旅館・池之坊満月城火災により、246人の宿泊客のうち30人が死亡、44人が負傷する大惨事であったそうです。

池之坊満月城遭難者慰霊塔
Img_3429

薬師堂の両脇に鎌倉時代末の作と言われる五輪塔が二基ありますが、平清盛と慈心坊尊恵の塔と伝えられています。

鎌倉時代末の作とされる五輪塔が2基あり、向かって左側のが清盛の石塔、右側のが慈心坊尊恵という僧の石塔とされています。

この二人の伝承はこちらをお読みください。

        
Img_3425


清盛の五輪塔
Img_3427


慈心坊尊恵の五輪塔
Img_3426_b


清盛は有馬温泉に来たという正式な記録は残ってないそうですが、このような五輪塔があると、もしかしたらあるのかもしれませんね~

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)
|

2013年12月20日 (金)

宇佐八幡宮

近江神宮から宇佐山に上がって行くと、宇佐八幡宮があります。

Img_8982_b

近江神宮から歩いて10分ほどのところに、この石碑があります。

ここからさらに山道を上って行きます。

Img_8983_b

鳥居が見えてほっとしたのですが、ここからの登り道がきつかった~(^_^;)

しばらくすると、この門が見えてきます。

Img_8989_b

参道の途中に、霊泉(金殿井)があります。

Img_8984_b

天智天皇の病気を治したといわれています。

更に進むと、拝殿が見えてきます。

Img_8985_b

宇佐八幡宮は、1065(治暦元)年、源頼義が宇佐神宮(大分県)を勧請して創建しました。

Img_8986_b

近くに頼義の屋敷があったといいます。

宇佐八幡宮は、土地の氏神、子供の守神・むし八幡として親しまれています。

八幡宮からさらにのぼっていくと宇佐山山頂に1570年織田信長が森可成(森蘭丸の父)に命じて造らせた宇佐山城跡があるそうです。

信長が京都へ退却した後、森可成は、坂本(大津市坂本)で戦死。浅井・朝倉軍は、宇佐山城に迫りましたが、武藤五郎右衛門らにくいとめられ、その後、信長は、浅井・朝倉軍が逃げ込んだ比叡山延暦寺の焼き討ちを、宇佐山城を拠点にして行ったと伝えられています。(滋賀県歴史散歩参照)

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)
|

2013年12月12日 (木)

日吉大社

日吉大社(ひよしたいしゃ)は、滋賀県大津市坂本にある神社で、全国に約2,000社ある日吉・日枝・山王神社の総本社です。

Img_8993_b

社名の「日吉」はかつては「ひえ」と読みましたが、第二次世界大戦後は「ひよし」を正式の読みとしています。

Img_8724_b

西本宮と東本宮を中心に400,000m²の境内を持つ広い境内の神社です。

平安京遷都により、当社が京の鬼門に当たることから、鬼門除け・災難除けの社として崇敬されるようになりました。

大宮橋

大宮橋は西本宮参道に架かる橋で、織田信長の焼き討ち後に、豊臣秀吉が寄進した日吉三橋のひとつです。

Img_8726_b Img_8727_b  Img_8728_b Img_8729_b

元亀2年(1571年)、信長の比叡山焼き討ちにより、日吉大社も焼かれました。

現在の建造物は、安土桃山時代以降に再建されたもので、豊臣秀吉が自身の幼名が「日吉丸」、あだ名が「猿」であることから、当社の復興に尽力しました。

西本宮の東には、豊前の宇佐八幡宮から勧請された宇佐宮本殿があります。

宇佐宮

Img_8730_b

西本宮楼門

Img_8734_b Img_8733_b

当社は通称、山王権現とも呼ばれ、猿を神の使いとしています。

神猿(まさる)

Img_8735_b

西本宮拝殿

Img_8747_b Img_8736_b

西本宮本殿

Img_8739_b_2 Img_8738_b

平安時代院政期に、比叡山延暦寺の僧兵が強訴のために担ぎ出した神輿は日吉大社のものですが、その神輿は、信長によって焼かれてしまいました。

系譜を引くものが、神輿の展示館にあります。

Img_8742_b

Img_8740_b Img_8741_b

東本宮楼門

Img_8743_b

東本宮

楼門をくぐると、正面突き当りの建物が、東本宮拝殿で、その奥に東本宮本殿があります。

※東本宮本殿は、当時修復中でした。(2012.11.30)

向って左側は、日吉大社摂社「樹下神社本殿」で、向って右側は「樹下神社拝殿」です。

Img_8744_b Img_8746_b

樹下神社拝殿

Img_8751_b Img_8750_b

樹下神社本殿

Img_8749_b Img_8748_b_3

二宮橋

Img_8752_b

日吉三橋の一つで、この橋を渡って坂を登ると東本宮への参道に通じます。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (5)
|

« 2013年11月 | トップページ | 2014年1月 »