大願寺
開基は不明で、寺伝によれば平安時代初期に空海によって開かれたとも、また鎌倉時代の建仁年間(1201~1203年)に僧了海により再興されたと伝えられています。
大願寺は、東側の塔の岡から西側の多宝塔・経の尾付近までが境内地で厳島伽藍と呼ばれ多くの堂塔がありました。
現在の本堂は昔の僧坊で、大経堂である千畳閣が本堂になる予定でした。
昔、参拝者は、大鳥居をくぐり、大願寺近くの砂浜に上陸した後、大願寺の裏にあった大風呂で身を清め、僧坊で休憩、着替えをして厳島神社に参拝しました。
厳島神社の出口が唐破風造りで、昔は入口であったことがうかがえます。
また境内の池の中には、弁財天の使いとされる厳島龍神が祀られ、護摩堂には不動明王安置されています。
本堂には、国の重要文化財である仏像が四体あり、その中の薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられています。また、神仏分離令で千畳閣から移された、行基作と伝えられる釈迦如来坐像と阿難尊者像・迦葉尊者像、五重塔から移された釈迦如来座像・文殊菩薩・普賢菩薩の三尊像があります。
当寺の秘仏・厳島弁財天は弘法大師空海の作と伝えられ、日本三弁財天の一つです。
その弁財天の霊験に感服した
平重盛がお手植したという松の幹が、大願寺の山門の脇にあります。
小松内大臣平重盛公御手植え松
平清盛長男重盛公厳島弁財天の神徳霊験に感服し国家安泰・家門隆盛
祈願の為参籠の際に境内にお手植えになられた老松

重盛は、1176(安元2)年、清盛、時子、経盛、維盛、建礼門院、などと共に厳島を参詣し、千僧供養を行っています。
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