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2014年4月

2014年4月30日 (水)

尾長天満宮

広島駅から北に徒歩15分、坂の上に立ち、長い階段を上ったところにあります。

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祭神は学問の神の菅原道真公

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平清盛ゆかりの地「尾長天満宮」

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尾長天満宮は菅原道真公が901年(延喜元年)大宰府に向かわれる際に立寄られた所です。
平安時代、平清盛が安芸守であった時、厳島に参詣の途中現在の尾長天満宮付近にさしかかった際、激しい豪雨と落雷に遭遇し絶体絶命の窮地に陥った。その折、菅大臣菅原道真公のご加護を祈り九死に一生を得ることができた。清盛は道真公の神徳を感じ、この一帯を「菅大臣峰」と名付け、峰の中腹に天満宮の社殿を建立したと伝えられています。

合格の木

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登竜門

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江戸時代、広島藩浅野家初代藩主・浅野長晟が京から連歌師の松尾忠正を招きました。その忠正の霊夢により、山中にあった祠を民家に近い現在地に移転、1640年(寛永17年)に社殿を建立しました。

朝ホテルを出たのが6時前で、ここに着いたのが6時20分。
まだ辺りがようやく明るくなり始めた頃でした。

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ここを上っていくと、道真の腰掛石があり、その辺りが、清盛が社殿を建てたところだと案内板に書いてあります。

が、この上の道が薄暗くて、どうなっているのかわからないので、そこまで行くのは止めました。

境内からは、広島市街が見渡せます。

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2014年4月24日 (木)

「天女姫伝説」を追って 本川井戸と疱瘡神社

広島に伝わる清盛と常盤御前の娘・天女姫の伝説を追って歩いてみました。

本川井戸
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本川井戸の由来

平清盛は、その娘・天女姫・が宮島で亡くなり(1179年)その亡き骸を祀るため堀越の丘に疱瘡神社を建てました。
そしてその神社が狐や狼に荒らされる事を気遣って、全国から大勢の作業者をあつめ、堀越の山の一部を堀り切って、そこに海水を引き込み、神社のある丘を島にするという大工事を行いました。
この本川井戸はその時に作業者たちの飲み水として使うために、掘られたものであるといわれています。
そしてその工事は、堀越の地名の由来ともなりました。

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この看板を追っていくと疱瘡神社に辿り着きます。

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疱瘡神社
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疱瘡神社の由来

源義朝の死後、その側室であった常盤御前は三人の子どもを連れて平清盛の所へ助命嘆願に行きました。
そしてその後に生まれたのが『天女姫』であり、従って源義経とは異父同腹の兄妹です。
姫はその名の通り天女にも似た美女でしたが、不幸にも疱瘡病(天然痘)という病気に罹り、清盛は全国の名医を集めて治療に専念いたしました。
しかし病は容易に癒えず、「この上は平家の守り神である厳島明神の力におすがりする外ない」と治承三年(1179)二月上旬に、姫を船に乗せ沢山の女官・従者を従えて、海路二十六日宮島に参着し、祈願の後帰路に就きましたが、急に病状が悪化し二月二十九日に姫は十四才を一期に息を引き取りました。
清盛は止む無くその遺骸を埋葬すべき所を神に伺ったところ「これより東方七里、赤旗の建っている場所こそ埋葬の地である」とのお告げに従い、遺骸を船に乗せ東方向灘の浦まで漕ぎ来ると、まさしく赤旗の建っている丘があり、「ここぞその場所」と考え、金銀十二枚、手玉七つ、玩具類七個と、姫が肌身離さず持っていた一寸八分の黄金仏などを副葬品として埋めて、そのしるしに『せんだんの木』を植えておきました。
そして、その場所から東方八間の所に四間四方のお堂を建てて、本尊に阿弥陀如来を祀り、その脇に十二単で身を飾った姫十四歳の立ち姿の木像を置き、入魂の秘法を行い本尊に配し祀ったと古伝にあります。
その場所が昔からこの場所と伝えられています。

『仁保村志の原文より要約』
平成十八年四月吉日 (案内板より)

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JR向洋の駅から歩いて行ったのですが、なかなか場所がわからず、迷いながら言ったので、行きは30分以上かかったと思います。
駅の周辺では、これらの史跡を知っている人がいなかったのですが、当てずっぽうで歩いて行く途中、神社のそばに住んでいる方と出会い、行き方を教えていただきました(#^.^#)

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2014年4月17日 (木)

高倉上皇ゆかりの多聞院(広島)

 

広島市南区の多聞院 

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高倉上皇が厳島神社参拝の際、夢枕に毘沙門天が立ったことをきっかけに本堂が建てられたという寺です。

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時代を経て毛利元就によって髙田郡吉田に移され、毛利輝元の広島築城に伴って新庄村に移築。
福島正則が慶長9年(1604年)に比治山の地に本堂を建てました。

福島正則が寄進した両界曼荼羅や、三条小鍛冶宗近の宝剣一振が保管されています。

境内には持佛堂、毘沙門天本堂、被爆の鐘樓、頼家一族の墓、植田艮背の墓(県の史跡)等があります。

被爆の鐘樓

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広電の「比治山下」下車

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2014年4月10日 (木)

伊勢神宮 外宮の清盛楠

20年に一度社殿を造りかえる式年遷宮が昨年行われ、新しいお社ができました。

第一鳥居の右手に、樹齢1000年に近いといわれる清盛楠があります。

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平清盛が勅使として外宮に参向したとき、この木の枝が冠に触れたため、西側の枝を切らせたという伝承があります。

清盛は勅使として神宮を3度訪れているとか。
清盛楠はすでに平安時代末期には大樹であったようですが、昭和34年の伊勢湾台風により、中央部分が裂けて倒れ、現在の形になったそうです。

3月末まで、外宮の古殿地拝観ができるのですが、時間の都合では外から見学しました。

旧御正殿
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古いお社は、苔生した屋根が20年の年月を物語っています。

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新御正殿
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新しいお社は、真新しい金の千木と鰹木が新鮮です☆☆☆

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階段の上からは撮影禁止なので、ここまでが限界・・・

平日で、この人混みですから、お正月は初詣客で凄かったのでしょうね。

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