« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »

2014年5月

2014年5月29日 (木)

忠海の耳無地蔵

広島県竹原市は安芸の小京都といわれ、古来、瀬戸内海の交通の要衝として栄えました。

1_201211131126189b3 2_20121113112617471

3_20121113112617c20

竹原から呉線で瀬戸内の海の景色を楽しみながら忠海

4_20121113112616798

この沖で、清盛の父・平忠盛は海賊を退治しました。

後にこの辺りの海は「忠海(ただのうみ)」と呼ばれ、今もその地名が残っています。

5_2012111311261618d

1135年(保元元年)日宋貿易の航路である瀬戸内海の忠浦沖(当時は「浦」)で海賊を捕えた功績として忠盛の二文字を分け、「浦」を忠海と、対岸の島である大三島を盛村と名づけたと伝えられている。

また、この地には清盛ゆかりの耳無地蔵があります。

厳島神社に向かう途中に立ち寄った清盛が、娘・徳子の安産のためにつくった地蔵と伝わります。

さて、駅からプリントアウトした地図を頼りに、てくてくと歩いていったのですが、地図に記された目印が少なすぎて、どう歩いたらいいのやら。

線路沿いの道をひたすら歩いていたら、コンビニを発見!
地図を見せて聞いてみたところ、方角は合っているらしい。

またしばらく歩いていると住宅地に入りました。
通りを歩いている人の姿がないので、仕方なく民家をピンポンして道を尋ねてみました。
しかし、その地蔵のことは知らないと言われorz

さらに数百メートル歩いたところで、向こうからお婆さんが歩いて来ました。
このお婆さんが、耳無地蔵を知っていて、このまま坂を上って行ったら、下に下がる表示があるよと言われ、
歩いて行くと、綺麗にお祀りされているお堂に辿りつきました!

6_20121113112952ce1 7_201211131129523d4

8_20121113113006ba0 9_20121113112951a9b 

10_20121113112951fb1 11_2012111311261508e

1178年春、平清盛は,高倉天皇に入内させた徳子(清盛の子)の安産祈願のため,厳島神社に向かった。
しかし、船旅の途中、激しい風に遭い、徳子の出産に胸騒ぎがした清盛は、安産を祈るため、石工に地蔵を彫るように命じた。
石工が耳を完成させる前に、徳子が元気な男の子(安徳天皇)を出産したため、耳がついていない地蔵をそのままの姿で祁った。
その地蔵が忠海の辻地蔵似心堂にある「清水の耳なし地蔵」といわれている。

なるほど耳がありませんね。

12_20121113113108054

村の人々に大切にお祀りされているのがわかりますね。

この土地の人と話したところ、ここら辺では「清盛」と呼び捨てにする人はいないと。
必ず「清盛さん」と言うのだそうです。

帰りは走りながら駅に向かいました(^_^;)
一時間に一本なので、必死です(苦笑)

忠海のフェリー乗り場が見えたら駅まであともう少し!

13_20121113114012488

駅に到着\(^o^)/

14_201211131141307ae

電車が出るまであと5分!
どうにか時間に間に合いました!

場所を知っていれば、片道25分ぐらいで行けるかな?
私は往復55分かかりました。
今後行かれる予定の方は、次の電車に乗るには、のんびり歩きでは間に合いませんのでご注意を!

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (6)

2014年5月27日 (火)

平重盛の持念佛が祀られた西方寺

広島の竹原は、平安時代、京都下鴨神社の荘園として栄えた歴史から「安芸の小京都」と呼ばれています。

竹原駅から歩くこと15分レトロな街並みが現れます。

201211120148014cf 201211120148018e5

この通りを数分ほど歩くと西方寺に向かう長い階段があります。

201211120148499b2

20121112014849ce5 20121112014849ca5


境内にある守護堂には、唐の育王山から迎えられた平重盛の持念佛である木造十一面観音立像がまつられています。

20121112014848f41 20121112014957b85

西方寺は小早川隆景が京都の清水寺の舞台を模して建てたといわれています。

普明閣は、正式には西方寺大悲閣といい、宝形造、二重屋根の堂の前面に高楼を張り出す構造をしています。

20121112015101a8d 20121112014957354

20121112015101952

普明閣からは、竹原の町並み、瀬戸内海を一望できます。

2012111201510090a 2012111201511327b

その他、竹原のスポットを紹介します。

20121112015336a0f 201211120153360c4

照蓮寺

20121112015759136

小早川氏代々の子弟が学んだ寺です。

胡堂

201211120153357ef

映画 『時をかける少女』でもお馴染みのスポットです。

頼山陽の銅像

20121112015543035 20121112015543796

電車の本数が少ないので、すぐに次の訪問地に移動してしましましたが、またいつかゆっくり訪ねてみたい街です。

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)

2014年5月21日 (水)

安芸川尻の宝積寺

「平清盛」が放送された2012年の秋に安芸川尻の宝積寺に行って来ました。

1_201211141443498c6 2_20121114144323bcb

清盛が一門の繁栄を願い、1158年に参拝して三日三晩、平家一門の繁栄と武運長久を祈ったという秘仏・十一面観世音菩薩像がこちらに安置されています。

3_20121114144321efa

2012年は、大河イヤーに合わせ、3月中旬から約半年間、特別公開されたそうです。
時期が合わず、見ることはできませんでしたが、写真が飾られています。

4_20121114144322117

また、清盛直筆の書(写し)と伝わる額が保管されています。

5_20121114144322289

清盛が植樹したという松の写真

6_201211141443210a9

現在は枯れてしまったそうですが、?代目の松が跡を継いでいます。

7_20121114144349bb5

境内からの眺め

8_20121114144350a08

安芸川尻よりタクシー5分
(アップダウンが激しいので、車がお勧めです)

取材日 2012.11

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)

2014年5月15日 (木)

音戸の瀬戸~日招像~呉

広島から呉へ移動し、路線バスで清盛塚へ

渋滞がなければ、20分ほどで到着します。

清盛塚

1_20121115022514091 2_201211150225131f2

伝清盛塚
 
 音戸の瀬戸を切り開いたといわれる平清盛が、当時大工事を行う際に献じたと言われる人柱の代わりに、一字一石の経石を海底に沈め、難工事を完成させたという逸話が残されています。
 清盛塚は、元暦元年(1184年)に建立されたと伝えられており、周囲49mの石垣に囲まれた塚の中央には、清盛公の功徳を称えた高さ2mほどの宝篋印塔があります。
 境内のクロマツは、享保4年(1719年)に一度枯死して植えかえられたとされています。平成11年(1999年)には再び枯れてしまいましたが、新しい幼木が育って、現在まで「清盛松」として親しまれています。   呉市                            
                                                 

音戸大橋

手前の橋は音戸大橋で、背後に見える橋は、音戸大橋の交通渋滞の緩和などを目的として現在建設中、来年開通予定の第二音戸大橋です。

3_20121115022513493


音戸観光文化会館うずしお

二階のミュージーアムには、清盛像があり、音戸大橋をバックに記念撮影ができます。


清盛像

5_20121115023450508


お昼には、4階の和食のお店で「清盛丼」をいただきました!

瀬戸内の新鮮な海の幸がご飯の上に載っています。

6_20121115023450544


音戸の舟唄の石碑

7_20121115152557fff

続いて、日招像のある高烏台へ

懐かしい日招像との再会!

日招像

9_20121115024950ae2 10_20121115025023008

音戸の瀬戸開削800年を記念して建てられた清盛の銅像です。
伝説のとおり日没の方向に扇を向けて立ち、海上交通の安全を見守っています。


後ろ姿

11_20121115025022497

ここからの景色は絶景です!

12_201211150250222b9 13_201211150249513d3 14_20121115024949865 15_20121115024950bc1

日招像から200m程、山道を下ると、日招岩という清盛の足跡と杖の跡が残る岩もあります。

16_20121115023753781

清盛像からかなり下へ降りて行きます。

17_20121115024328f14

遊歩道を進んでいくと、大きな岩がありました!

これが日招き岩です!

18_20121115023752fe5

清盛の足跡、杖の跡がわかりますか?

19_2012111502375270e 20_20121115023751843

シャトルで一周し、帰りは、呉湾観光遊覧船を利用しました。(片道500円)

21_2012111502573851d

この船にはガイドさんの解説を聞きながら、護衛艦や潜水艦を海から眺めることができます。

22_20121115025738348 23_20121115025737ce4

間近で見ると、凄い迫力ですね!

24_20121115025737708

乗船時間は25分

あっという間に呉港に到着しました。

25_201211150300229fc 26_20121115030022ffa 27_20121115030021492 取材日 2012.10

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ



| | コメント (8)

2014年5月 6日 (火)

熊野(ゆや)御前ゆかりの長藤(2)

熊野御前の命日とされる5月3日には熊野御前供養祭が行われます。

1_20140504_701683 2_20140504_701685

3_20140504_701684 4_20140504_701686

5_20140504_701687


そして、この日参列したのは、磐田のマスコットキャラクターのしっぺいくん

6_20140504_701688 6_20140504_701689

7_20140504_701693 8_20140504_701692

この後、お琴の演奏が行われました。

9_20140504_701722

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)

2014年5月 4日 (日)

熊野(ゆや)御前ゆかりの長藤(1)

今年も熊野の長藤を見に出かけて来ました。

まずは、「池田の渡し歴史風景館」で説明を読んで、歴史的背景を頭に入れます。
(毎年同じことの繰り返しですが(^_^;))

1_20140504_701259 2_20140504_701260

3_20140504_701261 4_20140504_701271

5_20140504_701272

行興寺に到着。

「熊野の長藤」は、磐田市池田の行興寺にあり、平安時代、平宗盛に寵愛された熊野御前が植えたとされる推定樹齢800年以上を数える長藤で、国の天然記念物にも指定されています。

この長藤の開花期間の4月下旬から5月上旬にかけて催される、「池田・熊野の長藤まつり」では、能舞台での各種イベントや、池田の渡船の再現、屋台の曳き回しなどがあります。

渡船の再現

6_20140504_701273 Img_7047_fune

昔はこのような舟で渡しが行われていたのですね。

顔出し看板
7_20140504_701280

さて、ここ行興寺の長藤にゆかりのある熊野(ゆや)御前平宗盛についてですが、謡曲「熊野」と行興寺の説明をご覧ください。

Img_7116_yuya

謡曲「熊野」と行興寺

遠江国池田の宿の長 熊野は、平宗盛(清盛の次男)の寵愛を受け、京都清水の桜見物に出掛けます。
熊野は病母から届いた手紙で見舞いに赴きたいと思い、宗盛に暇を乞いましたが聞きいれられず、やむなく宗盛に同行しました。
花の下の酒宴が始まり舞を舞った熊野は、俄かの村雨に散る花に寄せて、故郷の病母を気遣い
  
 いかにせん都の春も惜しけれど
         馴れし東の花や散るらん と

和歌を詠んだのを見て、宗盛も哀れに思い暇を与えたのです。
熊野はこれも清水観音のご利生と喜んで故郷へ帰って行きました。熊野は藤の花をこよなく愛し、行興寺本堂側に熊野が植えたと伝えられる老木あり、「熊野の長フジ」と称せられています。
                  
          謡曲史跡保存会

熊野御前                              熊野御前花見

8_20140504_701281 9_20140504_701288

10_20140504_701289 11_20140504_701290

熊野の長藤
12_20140504_701293

 熊野の長フジ 国指定天然記念物一本、県指定天然記念物五本

  国指定樹は、境内西北隅に位置し、幹は根元より分かれて二支幹となっている。根元で約1.8㍍もある。
  本堂前の境内地にある五本のフジは県指定樹であるが、国指定に劣らないフジの巨木である。ともに、樹齢は定かでないが老木であることは間違いない。
  花房が1㍍以上にも伸びて 紫色の美しい花をつける。一般的には「熊野の長フジ」と呼ばれている。そのいわれは、平安時代の終わりごろ、熊野御前が植えたとの伝承がある。熊野御前については謡曲熊野や平家物語にも登場する。親孝行で有名な美女である。
                                                                                                            

平成十八年三月 磐田市教育委員会

13_20140504_701294 14_20140504_701295


例年より人出が少ないかな?と思ったら・・・

今年はすでに見頃を過ぎ、入口付近は色が褪せていました(-_-;)

16_20140504_701297

15_20140504_701296 17_20140504_701298

が、中に進んで行くと、まだ色の綺麗なところも残っていました。!(^^)!

18_20140504_701303

遍照山西法寺跡
19_20140504_701304

遍照山西法寺跡
 
 ここには『遍照山西法寺(へんしょうざんさいほうじ)』という寺院がありました。西法寺は、今から約770年前の鎌倉時代の貞永年間(1232年)に創立された真言寺院で、本寺は高野山普門院、本尊は不動明王でした。真言宗は平安時代に空海(弘法大師)によって開かれたもので、遠州では袋井市の法多山、油山寺、磐田市の医王寺、浜北市の岩水寺、浜松市の鴨江寺、龍禅寺。三ヶ日町の摩訶耶寺などがあり、いずれも古い時代より続く大きな寺院です。
 豊田町の寺院も多くは真言宗により創立されました。しかし、鎌倉時代に広がった新仏教は、奈良・平安時代以来の貴族中心の信仰から庶民信仰の仏教へと大きく変化し、その流れの中で、町内寺院もほとんどが曹洞宗と時宗に改宗されました。江戸時代に書かれた『遠淡海地志(とおとうみちし)』によれば、この時代の町内四二カ寺のうち、曹洞宗三九、時宗二で、真言宗は西法寺の一カ寺のみとなっています。おそらく、西法寺は、鎌倉時代に広がった庶民仏教とは一線を画し、武士層など比較的経済的に恵まれた人々の信仰を集めていた寺院だったのではないでしょうか、現在では、お寺は浜松市に移り、五戸の檀家衆のうち豊田町内三戸の檀家衆によって法灯が守られています。

18_20140504_701303_2 20_20140504_701328

(次に続く)

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (6)

« 2014年4月 | トップページ | 2014年6月 »