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2014年6月

2014年6月28日 (土)

新羅善神堂

京阪電鉄石山坂本線の別所駅下車。

歩道沿いの大津絵と説明を見ながら歩くこと約5分。

弁慶

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弘文天皇陵のすぐ西側にある鳥居をくぐり右側の石段を上がると、国宝の新羅善神堂があります。

弘文天皇陵

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新羅善神堂

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園城寺(三井寺)の鎮守社の一つで、園城寺最古の木造建築物、三間社流造の建築。

足利尊氏によって1347年に再建されました。

堂内には、平安時代の作である木像新羅明神坐像(国宝)が祀られています。

新羅明神と源氏の関係は深く、源頼義は前九年合戦の出陣の際、新羅明神に線視唱祈願し、頼義の三男・義光は新羅明神の社前で元服し、新羅明神義光と名乗りました。

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新羅善神堂

堂は三間四方の流れ造り、屋根は檜皮葺きの美しい建物で、国宝に指定されている。
暦応3年(1339)足利尊氏が再建した。
新羅明神は園城寺開祖智証大師の守護神で、本尊新羅明神坐像も国宝。
源頼義の子・義光がここで元服し新羅三郎義光となのったのは有名である。

本殿

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2014年6月17日 (火)

後白河院の勅願寺・尾道の浄土寺

尾道の浄土寺616年、聖徳太子の創建と伝えられています。

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本尊は十一面観音で、中国三十三観音霊場第九番札所

1186年に後白河院の勅願寺となります。

足利尊氏が九州平定や湊川の戦いの際、戦勝祈願をした寺としても有名です。

本堂、多宝塔は国宝、山門、阿弥陀堂は国重文に指定されています。

本堂
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多宝塔
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阿弥陀堂
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奥庭には伏見城から移築したといわれる茶室「露滴庵」があります。

山門からのぞく景色
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ここから尾道の街が一望できます!

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2014年6月11日 (水)

白河院の勅願寺・尾道の西国寺

尾道の西国寺は、山門の大草鞋が目印です。

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108段の石段を上ります。

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西国寺は、1108年、白河法皇により勅願寺となりました。

天平年中(729~749)僧行基の開基と伝えられる。
治歴2年(1066)火災にかかり本堂、五重塔などことごとく焼失した。当時の住職慶鑁和尚は、京都仁和寺の性信法親王に師事し、白河院を頼って復興を願い、金堂など七堂伽藍が再建された。官寺として末寺も百数ケ寺を数える備後備中安芸にわたる西国一の大寺となった。
天仁元年(1108)から七帝御国忌の不断経修行が命じられたが、度々武士団の侵略にあって中断し、寺領も尾道浦一円を残すのみとなっていた。
永和年中(1375~1379)再度火災にかかったが、備後の守護山名氏の手厚い外護によって至徳3年(1386)金堂(重文)が再建され、永享年中(1429~1441)までの約60年間に、三重塔(重文)など伽藍が整えられた。
仁王門(県重文)は仁王像ともに室町時代末期の作。
正面の大藁草履は、健脚を願っての奉納である。 (案内板より)

金堂

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行基菩薩の開基と伝わります。
度々の火災により焼失し、現在の堂は南北朝期、備後の守護山名一族によって再建されました。

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不動明王像

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不動明王堂

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大師堂

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毘沙門天堂

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三重塔

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永享元年(1429)足利義教の寄進によって建立されました。 階段の上からは、尾道市街が見渡せます。

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2014年6月 3日 (火)

近衛天皇ゆかりの尾道の持光寺

続いて尾道

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尾道駅から、土日祝に運行される尾道のレトロバス・好きっぷライン(一日500円乗り放題)に乗車し、林芙美子像前で下車。

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このレトロ感がたまらなく良い感じ

芙美子像

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そして、通りを渡って、階段を登りますと参道に出ます。
(駅から歩いても行けますが)

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二階井戸

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坂の多い尾道ならではの工夫が見えますね。


持光寺は、承和年間(834~848年)、慈覚大師により天台宗の寺として草創されました。
永徳2年(1832年)浄土弘伝の沙門善空頓了上人により浄土宗の寺に中興改宗され、以来京都東山・禅林寺(永観堂)の末寺となります。

鳥羽法皇の命により、愛する御子・近衛天皇のご息災を祈願して作られた国宝・絹本著色 普賢延命像(1153年)が伝わっています。
一度拝むと寿命が延びるといわれています。

延命門

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持光寺裏山の日輪山より切り出された36枚の花崗岩で出来た大石門で、門をくぐると、巨石より発するパワーにより寿命増長されるといわれています。

にぎり仏

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本堂

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本堂から阿弥陀様を拝むことができました。

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日輪山 五劫院 持光寺

当寺は承和年間(834年~848年)、伝教大師の高弟持光上人により、天台宗の寺として草創され、寺号は日輪山天禅寺と号し本尊は立像・聖観世音菩薩の霊像でありました。
この天台宗時代の寺宝も数点伝わり、中でも絹本着色・普賢延命菩薩像は「延命像仁平三年四月廿一日供養(1153)と銘が記されており、この仏画は「保元・平治の乱」の直前・鳥羽法皇の御宇、最愛の御子・近衛天皇の御息災を祈願された尊像であり現在「国宝」に指定されております。
南北朝、足利三代将軍義満の時、永徳2年(1382)浄土弘伝の沙門善空頓了上人により本尊、立像・来迎の阿弥陀如来を迎え浄土宗に改宗される。寺号も日輪山金剛台院持光寺と改め、京都東山の永観堂・浄土宗西山禅林寺末寺となる。
移って元禄15年(1702)徳川五代将軍綱吉の時、当山第29世中興直空上人の願主により、大仏師法橋安清の手になる五劫思惟の阿弥陀如来を迎え院号も五劫院と改める、以来常行念仏の声今に絶えない。
現に本堂の須弥壇上に安置され霊験極めてあらたかにして、一度この尊像を拝み奉り後極楽往生を願うれば安養九品の浄土に至らんこと何の疑いもなし

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