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2014年8月

2014年8月28日 (木)

浄瑠璃姫伝説を追って(1)鳳来寺

鳳来寺山表参道の入口を少し登ったところに、「浄瑠璃姫と義経」の彫像があります。

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平成8(1996)年3月に整備され、彫像は、鈴木武右衛門氏によるものです。


義経                 浄瑠璃姫
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あまりにアートっぽい作品で、私には人には見えませ~ん(^_^;)

C

浄瑠璃姫と義経  

 平家が都で全盛を誇っていたころ、岡崎の近くの矢作の里に、兼高長者という金持ちの権力者が住んでいました。長者には、鳳来寺のお薬師様に祈願して生まれた、浄瑠璃姫という美しい一人娘がありました。
 姫が15歳の春、平家の目を逃れ、藤原氏を頼って奥州へ向かう義経が、源氏とつながりのある兼高長者の家に泊まりました。姫と義経は愛し合うようになりましたが、義経はいつまでもいることはできません。
 「半年たったら、鳳来寺の千寿峰(せんじゅがみね)で私を待て」と言った義経の言葉を信じて、姫は乳母とともに千寿峰に来て、麓の笹谷(ささだに)に庵をつくって住みました。ある日、義経が通るといううわさを聞き、往来まで出て道行く人にたずねると、もう義経は通り過ぎてしまったということでした。悲しんだ姫は庵のほとりで自害してはかない一生を終えました。
 今も千寿峰の西の山の中に、浄瑠璃姫をまつる祠があります。(案内板より)

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ここは、2005年の11月に行ったのですが、紅葉が素晴らしかったです。

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2014年8月22日 (金)

祇園神社と東福寺

清和天皇の時代、貞観11年(869)、姫路市の広峰神社から京都の八坂神社に分霊を移す途中、その御輿が平野の地で一泊し、その霊験あらたなのを仰ぎ、御社を奉ったといわれています。
また、平清盛は経ケ島を築造の際、祇園神社の裏山にあった上伽寺で海潮の響きを聞きながら計画を練ったと伝えられています。

祗園神社(神戸市兵庫区)

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その上伽寺の山号「潮音山」は清盛が名づけたそうですが、源平合戦で焼失してしまいました。
以後上伽寺の復興を願って再建されたのが、東福寺となったそうですが、阪神大震災により全壊し、その後再建されました。

境内までは88段の急な石段が続きます。

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境内からの眺望

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帰りはまたこの急な階段を下りて行きます。

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アクセス:JR三ノ宮駅そごう前、JR神戸駅前、市営地下鉄湊川公園駅より 

市バス⑦(平野下車)

東福寺

現在は近代的な建物です。

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神戸市兵庫区五宮町18-1

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2014年8月 9日 (土)

那須の与一の墓

北向八幡神社の東側に那須神社、道を挟んで那須与一宗高公之墓の石柱 があります。

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この急な階段を上って行くと、与市のお墓があります。

墓地にある墓石ではなく、お堂の中に祀られています。

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与市は、一の谷の合戦に赴く途中、北向八幡神社に武運を祈り、源平合戦後にこの地で亡くなったとの言い伝えがあります。

命日である毎月七日には、当社と墓所に多くの参拝者があるとのことです。

アクセス 須磨区妙法寺円満林 市バス「那須神社前」

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