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兼高長者は、身を投げた浄瑠璃姫を誓願寺に葬り、十王堂を建てました。
本堂
十王堂
そして、義経と浄瑠璃姫の木像を作り、義経が姫に贈った薄墨の笛、姫の鏡とともに堂内に安置したといいます。
2005年に浄瑠璃姫と義経のウォーキングに参加した時に、その寺宝を見せていただきました。
義経と浄瑠璃姫 義経と浄瑠璃姫の木像
義経の薄墨の笛
浄瑠璃姫の墓
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浄瑠璃姫が、平家の目を逃れ、隠れ住んだところに建つ寺院で、通称・浄瑠璃寺と呼ばれます。
元は岡崎曲輪(くるわ)付近にあったといいます。浄瑠璃姫の父・兼高長者が瑠璃光山安西寺を開いたのが始まりで、後に光明院浄瑠璃寺に改称したとされました。義経と浄瑠璃姫の画像と、浄瑠璃姫の守本尊である尊薬師如来が安置されています。
2005年に来た時には、義経と浄瑠璃姫の幟が立っていたのですが・・・
今では、岡崎観光協会のおすすめコースからも、「浄瑠璃姫伝説」は外されててしまったようです。
どうしてでしょうね?
国道一号線沿いの岡崎公園大手門に入る手前の左側にも「浄瑠璃姫の墓」が残っています。
なぜここにも?
岡崎城天守閣の北に、浄瑠璃姫が幽閉されたとというところがあるそうなのです。
そこが現在どこに当たるのかわかりませでしたが。
また、浄瑠璃姫の墓の前には、三河国額田郡生まれの歌舞伎役者「初代市川団蔵の碑」があります。
浄瑠璃姫の菩提を弔うために、侍女の十五夜は、冷泉という尼になり、浄瑠璃姫が身を投げた淵の川岸に庵室を結び、冷泉寺としました。
後にこの地に竜沢永源が、浄瑠璃姫の供養のため、創立したのが成就院とされています。
境内の墓地には浄瑠璃姫の墓、 侍女・冷泉の墓、穴観音、足跡岩があります。
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