八重姫が千鶴御前を祀った最誓寺
音無神社の隣りにある最誓寺は、八重姫が千鶴御前を祀ったとされ、八重姫が奉安したとされる地蔵菩薩が、本尊阿弥陀如来と共に寺宝として祀られています。
境内には明治初期廃寺となった、元伊東家の菩薩寺の東光寺より移された伊東家歴代の墓と塔が安置されています。
市指定の天然記念物のソテツ
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音無神社の隣りにある最誓寺は、八重姫が千鶴御前を祀ったとされ、八重姫が奉安したとされる地蔵菩薩が、本尊阿弥陀如来と共に寺宝として祀られています。
境内には明治初期廃寺となった、元伊東家の菩薩寺の東光寺より移された伊東家歴代の墓と塔が安置されています。
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JR伊東駅からバスで、音無神社へ向かいました。

音無神社は、音無の森とよばれた一角にあり、音無川(松川)の東岸に鎮座しています。
『曽我物語』によれば、14歳で伊豆国へ流罪となり、伊東祐親の監視下で日々を送っていた源頼朝は、祐親が大番役で上洛している間に、祐親の三女・八重姫と通じ、頼朝と八重姫が逢瀬を楽しんだところがこの神社のある音無の森だったと伝えられています。
やがて二人の間には、男の子が生まれ、千鶴御前と名付けました。
千鶴御前が3歳になった時、大番役を終えて京から戻った祐親は激怒し、家人に命じて千鶴を轟ヶ淵に柴漬にして殺害し、二人の仲を引き裂いたといいます。
祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
境内の天然記念物のタブの木

樹齢1000年ともいわれ、木陰で源頼朝と八重姫が密会を楽しんだと伝えられています。
「豊玉姫命と源頼朝・八重姫の歴史絵巻物」
豊玉姫が見守る中で頼朝と八重姫が逢瀬を重ねる様子
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1160年(永暦元年)、後白河法皇が院の御所(法住寺殿)の鎮守社として、もとは智積院南側に創建したのが始まりです。その後社地は転々としており、江戸時代になって豊国廟社が壊されたのと同時期に旧廟前に移り、現在の社地となったのは、豊国廟が再興された1897年(明治30年)になってからです。
1958年(昭和33年)後白河天皇を増祀し、1959年(昭和34年)に神社名を現在の新日吉神宮と改めました。
楼門 
江戸時代には、豊臣家や豊臣秀吉に関するものはすべて壊され、禁止されたのですが、京都での秀吉の人気は高く、秀吉を隠れて崇拝する人々が集ったのが新日吉神宮だったといいます。
境内の樹下社(このもとのやしろ)は豊国神社(ほうこくじんじゃ)とも呼ばれ、この樹下社に、秀吉を信仰をする人々が訪れました。
かつて新日吉神宮が、豊国廟社の跡地に建っていたこと、樹下社の「樹下」と、秀吉の旧名・木下藤吉郎の「木下」、秀吉の幼名「日吉」だったため、新日吉の樹下社にすることでカモフラージュしたそうです。
拝殿 
本殿

新日吉神宮の本殿脇にいるのは、狛犬ではなく狛猿。
猿の姿をした神様のお使いで、「魔が去る」とか、「何よりも勝る」との語呂合わせがあるといわれています。
神猿はなぜか金網に入れられています。
その理由として、「神の使いが盗まれてしまわないように」「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」と伝えられています。
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