« 後白河法皇が創建した法住寺殿の鎮守社・新日吉神宮 | トップページ | 八重姫が千鶴御前を祀った最誓寺 »

頼朝と八重姫が逢瀬を重ねた音無神社

JR伊東駅からバスで、音無神社へ向かいました。

Img_8859 Img_8860

音無神社は、音無の森とよばれた一角にあり、音無川(松川)の東岸に鎮座しています。

『曽我物語』によれば、14歳で伊豆国へ流罪となり、伊東祐親の監視下で日々を送っていた源頼朝は、祐親が大番役で上洛している間に、祐親の三女・八重姫と通じ、頼朝と八重姫が逢瀬を楽しんだところがこの神社のある音無の森だったと伝えられています。
やがて二人の間には、男の子が生まれ、千鶴御前と名付けました。

千鶴御前が3歳になった時、大番役を終えて京から戻った祐親は激怒し、家人に命じて千鶴を轟ヶ淵に柴漬にして殺害し、二人の仲を引き裂いたといいます。

Img_8861 Img_8862 

祭神は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)

Img_8868

千鶴丸を祀る摂社

Img_8863 Img_8864 

Img_8865

境内の天然記念物のタブの木

Img_8867 Img_8866

樹齢1000年ともいわれ、木陰で源頼朝と八重姫が密会を楽しんだと伝えられています。

「豊玉姫命と源頼朝・八重姫の歴史絵巻物」

Img_8876 Img_8875

豊玉姫が見守る中で頼朝と八重姫が逢瀬を重ねる様子

Img_8869 Img_8870

子供の千鶴丸を授かる様子

Img_8871 Img_8872

祐親の命令で千鶴丸を処刑しようとする様子が描かれています。

Img_8873 Img_8874

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

|
|

« 後白河法皇が創建した法住寺殿の鎮守社・新日吉神宮 | トップページ | 八重姫が千鶴御前を祀った最誓寺 »

源頼朝」カテゴリの記事

コメント

小生もこの音無神社に4年前行って記事にしていますが、撮影がしずかさんのように上手にできていませんでした。
「豊玉姫命と源頼朝・八重姫の歴史絵巻物」は覚えていませんでした。

投稿: willy_tsuguo_shikata | 2015年1月18日 (日) 07時58分

四方さん、昨年秋にようやく伊東に行けました。

以前、四方さんの記事を読んで、音無神社へいつか

参拝しようと思っていましたので!(^^)!

歴史絵巻は、四方さんが行かれた後に開設されたものかも

しれません。

投稿: しずか | 2015年1月18日 (日) 09時49分

頼朝と八重姫の悲恋は悲しいですね。
ましてや3歳で命を絶たれた千鶴丸のことを思うと、やりきれない思いになります。
この時代の女性は、自分の子どもさえ守れない弱い立場にあったのですね。

投稿: めりい | 2015年1月18日 (日) 19時53分

めりいさん、千鶴丸の殺され方が残酷過ぎて・・・

柴漬けというと、お漬物が浮かびますが、昔はこんな処刑の仕方が

あったのですね。

投稿: しずか | 2015年1月18日 (日) 23時00分

こんばんは。一度行ってみたいところです。どんな所で頼朝は流されててもいちゃいちゃしたのかしら?っと。
柄杓に穴が空いているのは何故なのでしょう?

投稿: つねまる | 2015年1月20日 (火) 00時53分

つねまるさん、こんばんは!

>柄杓に穴が空いているのは何故なのでしょう?

いいところをついていただきました!

音無神社に祀られている神は、「安産の神」とされ、地元では古くから、出産前に底の抜けた柄杓を神社に納めて安産を祈願し、無事に生まれたら、御礼として底の抜けた柄杓を、出産後に納める風習があるそうです。

投稿: しずか | 2015年1月20日 (火) 01時48分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 後白河法皇が創建した法住寺殿の鎮守社・新日吉神宮 | トップページ | 八重姫が千鶴御前を祀った最誓寺 »