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2015年2月21日 (土)

伊東祐親の墓

伊東市大原に、伊東祐親の墓と伝えられている五輪塔があります。

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伊東祐親は伊東の庄の豪族として、源頼朝が伊豆に配流された時の監視役でした。

しかし祐親が大番役で上洛している間に、娘の八重姫が頼朝と通じ、頼朝との間に千鶴丸を儲けてしまいます。祐親はこれに激怒し、千鶴丸を殺害、さらに頼朝自身の殺害をも図りました。

頼朝の乳母・比企尼の三女を妻としていた次男の祐清が頼朝に知らせたことで、頼朝は熱海の伊豆山神社に逃げ込み、北条時政の館に匿われて助かりました。

その後、頼朝が旗揚げし、勢力を盛り返して坂東を制圧すると、祐親は逆に追われる身となり、富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄に預けられます。

義澄による助命嘆願により、一時は一命を赦されましたが、祐親は関東の武士団が源氏に加勢する中、平氏の恩顧を忘れず、自刃したと言われています。

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伊東祐親」カテゴリの記事

コメント

>祐親は関東の武士団が源氏に加勢する中、平氏の恩顧を忘れず、自刃した

伊藤祐親は、きっと真面目で義理堅く、頑固だったのでしょうね。

時代の流れに乗れない日本男子(笑)ってところかな。

めりいさん、昔でいうと「武士の鑑」というべき人だったのかな?
寝返る、裏切る人は許せない性格の人だったのでしょう。

少し引っ掛かりがあったのでウイキペデイア伊東祐親を調べてみると「藤原の流れをくみ、孫には曾我兄弟の他、鎌倉幕府2代執権の北条義時、有力御家人の三浦義村がいる。」と記されていました。
意外な孫たちがいたものですね!

四方さん、私もその記述を見ました。

先祖や子孫が意外な人に繋がっていきます。

以前、「曽我兄弟の仇討」も追ったことがあるので、ここで繋がりました。

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