« 三島の旅(2)妻塚観音堂 | トップページ | 三島の旅(4)仁田館遺跡 »

2015年4月 4日 (土)

三島の旅(3)右内神社と左内神社

右内神社は、左内神社とともに三嶋大社の御門の守護神で、下田街道を挟んで左右に祀られています。種々の文書や宝物がありましたが、火災でことごとくなくなってしまったそうです。

右内神社
Img_9422 Img_9425 

源頼朝が、三嶋大社に百日参籠する際、度々立ち寄ったといいます。

Img_9426

頼朝公手洗水
Img_9427

ある時、頼朝は、右内神社の参道に手洗水がなかったので、長刀で地面を突き刺すと、そこから清水が湧き出してきたといいます。

近くにある「うなぎの池」には三嶋大明神の使者と言われた鰻が川を下って集まり、冬越えをしたことから、「うなぎの宮」と呼ばれ、氏子は鰻を食べない習慣が明治の初めごろまであったといわれています。

3個の力石「乞食石」「女石」「立石一表」
Img_9423 Img_9424

境内社
Img_9428 Img_9429

Img_9430 Img_9431


左内神社
Img_9421

周りはこんなのどかな景色が続いていました。

Img_9420

応援のポチッのご協力お願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

« 三島の旅(2)妻塚観音堂 | トップページ | 三島の旅(4)仁田館遺跡 »

源頼朝」カテゴリの記事

コメント

>右内神社は、左内神社とともに三嶋大社の御門の守護神で、下田街道を挟んで左右に祀られています。
いわくのある名前の神社ですね!
左内神社のハリギリは大変珍しい記ですね!
始めて見ました!

四方さん、コメントありがとうございます!

三嶋大社は有名ですが、この神社は地元の方でないと知らないかもしれませんね。

私もこのハリギリという木、初めて知りました。名前すら聞いたことがなかったです。

女石の重さ。
案内板に「23貫ハ八四kg」と書いてあるので、884kgかと思ってびっくりしました。

よくよく読めば「23貫は84kg」でした(笑)

日本語は難しい~

めりいさん、「貫」でいわれると、まったくわかりません(^_^;)

重さは㎏でしかわかりません(*^_^*)

この力石は一貫目が3つとも違った計算でKgに換算されていますね。
118.5÷32=1貫=3.70
88.4÷23=1貫=3.84
127÷34=1貫=3.73
さてどれが正当でしょうか?

ウイキペヂア:
江戸時代の一貫は分銅および定位貨幣の実測によれば平均して3.736キログラムで年代を通じてほぼ一定であったが、江戸時代後期(19世紀以降)にやや増加して3.75キログラムを超えたという[1]。1貫は1000匁に当たり、明治時代に 1貫 = 正確に3.75キログラム(kg) と定義された。

四方さん、「一貫」についての補足ありがとうございました。

江戸と明治では、「一貫」の定義が変わったのですね。

これは知りませんでした。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 三島の旅(2)妻塚観音堂 | トップページ | 三島の旅(4)仁田館遺跡 »

2023年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

カテゴリー

無料ブログはココログ