三島の旅(6)三嶋大社と源頼朝
社名の「三嶋」は伊豆大島・三宅島等から成る伊豆諸島を指すと言われ、主祭神は伊豆諸島の開拓神。古代には伊豆諸島の噴火を畏れた人々から篤く崇敬されました。
鎌倉時代、『吾妻鏡』治承4年(1180年)の記述によると、源頼朝は挙兵直前に安達盛長に対して当社への奉幣を命じ、その後山木兼隆の討ち取りを行なったり、平家軍との戦のため、戦勝祈願に三嶋神を拝んだり、頼朝から篤く崇敬されました。
安達藤九郎盛長警護の跡 相生松
治承4年(1180年)10月には、頼朝から御園・河原谷・長崎の神領の寄進、元暦2年(1185年)6月に臨時祭料として河原谷・御園の寄進、同年8月には放生会料として糠田・長崎の寄進、文治4年(1188年)正月に参詣、建久6年(1195年)に神馬・剣の奉納が行われ、頼朝以後も鎌倉幕府将軍が代々参詣しています。
伊豆一の宮として、一年を通じて多くの参拝客で賑わっています。
春には参道わきにソメイヨシノやミシマザクラ、神池の周りにシダレザクラが咲き、桜のスポットとしても有名です。
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