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三島の旅(8)三嶋大社の社殿

神門                  

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舞殿

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拝殿

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本殿

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三嶋大社本殿・幣殿・拝殿・舞殿・神門

三島大社の創建は明らかではないが、鎌倉時代(1192~1333)初期には関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社である。 一遍聖絵の社頭と現在のそれとではかなり異なり、消失記録をみると、文永5年(1268)と永仁4年(1296) に焼け、また延享元年(1744)と安政元年(1854)の地震で倒壊している。今の社殿は万延元年(1860)から明治2年(1869)にかけて再建されたものである。 本殿は流れ造(棟より前方の屋根が、後方の屋根よりも長く反っている建築様式)で切妻屋根(本を半ば開いて伏せた様な形の屋根)、棟には千木・鰹木をつけている。拝殿は入母屋造(上部を切妻屋根とし、下部が四すみに棟をおろしている屋根をもった建築様式)で、前面には三間の向拝をつけ、正面に千鳥破風と軒唐破風がつく。両殿の間には軒下に納まるように相の間がつくられている。この建築の様式は権現造といわれている。全国的にみて拝殿の大きな神社は数多いが、本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級であり、高さ23m、鬼瓦の高さ4mという豪壮なものである。 彫刻は伊豆国名工小沢希道、駿河国名工後藤芳治良がそれぞれ門人とともに技を競いあって完成した傑作である。(駒札より)

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源頼朝」カテゴリの記事

コメント

>本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級

やっぱり源頼朝や多くの武将の尊崇を受けた名社だけあって、何度も再建されながらも立派な物が建てられているのですね。

投稿: めりい | 2015年5月10日 (日) 21時14分

めりいさん、コメントありがとうございますm(__)m

「本殿の大きさは出雲大社とともに国内最大級」

これを聞いて驚く人も多いかもしれません。
三嶋大社はもちろん有名ですが、もっともっとメジャーになっても良いのでは?・・・と思います。

投稿: しずか | 2015年5月11日 (月) 14時57分

懐かしい三嶋大社です!
云われる通りもっと有名になっていいはずですね!
家内と二人で自家用車で御殿場の孫娘を訪ね1泊、下田1泊富士山を堪能しました!もう5年前になります。

投稿: willy_tsuguo_shikata | 2015年5月15日 (金) 05時47分

四方さん、お疲れのところ、コメントありがとうございます。

もっと早くにこの記事を書こうとと思いつつ、あっという間に時が過ぎてしまいました。
春はまとめて出かけているため、記事の方が追い付いていきません(^_^;)

投稿: しずか | 2015年5月15日 (金) 11時19分

こんばんは。三島の旅(1)から読ませていただいています。 三島大社は、一番気になるところです。本殿の流れ造り、伏見稲荷と同じですね。
 三島が伊豆七島とは、初めて知りました。
 三島には、ヤオハンというスーパーの本社があって何度か行きましたが、三島大社はいきませんでした。
 最初の写真、楼門では無くて、神門ではないかと思いました。
 写真が小さいので、よく分かりませんが、間違っていたらごめんなさい。

投稿: Minoru | 2015年8月24日 (月) 21時39分

Minoruさん、こんばんは!

ご指摘ありがとうございます(^_^;)
今から訂正させていただきますね。

画像は、クリックすると少し大きいサイズで
ご覧いただけると思います。
今後ともよろしくお願いいたします。

投稿: しずか | 2015年8月24日 (月) 22時18分

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