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2015年7月

2015年7月27日 (月)

三島の旅(17)願成就院

願成就院は、『吾妻鏡』によると、文治5年(1189年)に北条政子の父親で、鎌倉幕府初代執権であった北条時政が、娘婿の源頼朝の奥州平泉討伐の戦勝祈願のため建立したといいますが、寺に残る運慶作の諸仏は、文治2年(1186年)から造り始められていることから、北条氏の氏寺として創建されたものと考えられています。

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その後、義時や泰時によって堂塔が整備され、巨大な池とその中の小島を橋でつなぎ、多くの堂宇や塔がそびえ立つ壮大な寺院となっていきました。

しかし、室町時代、北条早雲に攻められた堀越公方の足利茶々丸がこの寺に逃げ込んだことから、戦火に見舞われ願成就院はほぼ全焼。

さらに豊臣秀吉の小田原攻めの際、再度戦火に見舞われ全焼。本尊を始めとする仏像数躯は僧侶らの手によって運び出されたため、焼失は免れましたが多くの寺宝は灰燼に帰し、願成就院は事実上壊滅してしまいました。

江戸時代に北条の末裔、北条氏貞が再建し、現在の遺構はほぼその当時のものであるといいます。

茅葺の本堂は、寛政元年(1789年)の建立とされています。

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寺宝には、運慶が30代の時に造った阿弥陀如来・ 毘沙門天・不動三尊と、北条政子の7回忌に造られた政子地蔵、本堂の阿弥陀如来像などがあり、境内には北条時政の墓足利茶々丸の墓茶々丸首洗いの池などがあります。


足利茶々丸の墓           北条時政の墓

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2015年7月20日 (月)

三島の旅(16)光照寺 源頼家の面

政子産湯の井戸の近くに、光照寺があります。

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もとは北条時政源頼朝のために建てた館の跡で、頼朝の死後に寺になったそうです。

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*前回訪問した時、こちらに伝わる源頼家のお面をご住職のご好意で見せていただきました。

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修禅寺の宝物館で見た頼家の面とは違い、ユーモラスな表情をしています。

こちらの面と見比べてください。

http://shuzenji-temple.com/jihou1.html

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2015年7月14日 (火)

三島の旅(15)北条氏邸跡(円成寺跡)

守山西公園入口に「北条一族のふるさとと寺院」という案内板があります。

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北条氏邸跡がある守山は、北条氏の本拠地で鎌倉時代に伊豆北條と呼ばれていました。

守山の東側には、願成就院が建てられ、北西側の谷の内部には館が建てられました。

元弘2(1333)年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻ると、邸宅跡に、一族の円成尼が中心となって、北条氏の冥福を祈るために円成寺を建てました。

平成4年~5年の発掘調査では、平安時代末から鎌倉時代はじめにかけての大量の出土遺物とともに建物跡が発見され、北条氏邸があることが確認されました。

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北条氏邸跡は、北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの館跡と、円成寺跡が発見され、国指定史跡に指定されました。北条氏邸跡は今後、史跡公園整備が計画されており、発掘調査が進められています。(伊豆の国市HP参照)

史跡 北条氏邸跡(円成寺跡)

北条氏邸跡は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。狩野川の東岸にある守山の北西部の小さな谷になっているところです。ここを含めて伊豆北条と呼ばれた一帯(現在の寺家・四日町付近)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠地であった場所です。北条氏邸跡は武士の地方での生活を知ることができる遺跡としてきわめて重要なのです。
 1333年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心となって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。円成寺は室町時代にも尼寺として続き、上杉氏の一族の女性が尼として入っていたことがわかっています。
 現在の発掘調査では円成寺に関連する池や溝が見つかっています。
(案内板より)

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2015年7月 3日 (金)

三島の旅(14)伝堀越御所跡

伝堀越御所跡は、伊豆の国市寺家にある「堀越公方」と呼ばれた足利政知の御所があったと伝えられる場所です。

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室町時代の後半、関東地方は、京都にある室町幕府に従う勢力と対抗する勢力とが激しく争っていたため、足利義政が、直接関東地方を支配しようと、長禄元(1457)年、鎌倉公方として兄の足利政知を派遣しました。しかし、政知は戦乱のため鎌倉まで行くことができず、韮山の堀越の地に館を構えました。そのため、政知は「堀越公方」と呼ばれました。しかし、政知の死後、この御所は、明応ニ(1493)年に北条早雲によって滅ぼされてしまいました。

堀越公方の御所は成福寺辺りにあったとされ、旧北条氏邸の一部が利用されていたと考えられています。

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発掘調査によって、池跡や遣水、建物跡が見つかっています。

現在は、更地となっており、説明看板があるのみです。

国指定史跡  伝堀越御所跡
      
所在地 静岡県田方郡韮山町四日町及び寺家地区
      指定年月日及び面積
昭和59年10月8日指定    14083.05平方メートル
昭和62年9月8日追加指定 13130.94平方メートル
総指定面積          27213.99平方メートル

指定理由
20回に及ぶ発掘調査で発見された園池(庭園内の池)や、中国から輸入された高級な焼き物などから、鎌倉時代の北条氏の屋敷跡に、室町時代の堀越御所がつくられたことがわかりました。このことから、日本の中世(鎌倉・室町時代)の歴史を物語る重要な遺跡ということで、国の史跡に指定されました。

      守山を中心とした中世遺跡
伝堀越御所跡周辺には、史跡願成就院跡をはじめとして中世の寺院群や、御所之内遺跡(一部は北条氏邸跡として国指定)などの遺跡群が連なっています。この近くには、伝北条政子産湯の井戸、御所の庭にあったと伝える七つ石などが存在しています。

      史跡公園に向けての構想
町では、このような重要な史跡を皆さんに開放して、郷土の歴史を再発見し、歴史の町・韮山町に誇りをもっていただけるよう、史跡公園とする構想をたてています。
現在、土地の買い上げを進めていますが、終了しだい発掘調査を実施し、その結果をもとに復元・整備をして史跡公園としていく予定です。 
      
平成8年3月  韮山町・韮山町教育委員会

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