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壇ノ浦に沈んだ碇知盛

寿永4年(1185年)3月24日、壇ノ浦の戦いで、追い詰められた一門は、安徳天皇、二位尼らが入水し、平氏滅亡の様を見届けた平知盛は、海へ身を投げ自害しました。享年34。
自害にあたり、知盛は碇を担いだとも、鎧を二枚着てそれを錘にし、
「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」
と言い残して入水したとも言われています。

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碇知盛」は、浄瑠璃「義経千本桜」の二段目「渡海屋」「大物浦」の段が、人形浄瑠璃および歌舞伎で上演される際の通称で、源義経に復讐しようとした平知盛が再び敗れ、碇綱をからだに巻いて海中に沈む場面が描かれています。

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謡曲「碇潜(いかりかつぎ)」と壇ノ浦

 謡曲「碇潜」は、平家一門の修羅の合戦の模様とその悲壮な最後を描いた曲である。
 壇ノ浦の古戦場を弔いに来た旅僧が乗り合わせた渡し舟の漁翁に軍(いくさ)物語を所望する。
 漁翁(実は平知盛の幽霊)は能登守教経の奮戦と壮烈な最期を詳しく語り跡の弔いを願う。
 旅僧の回向(えこう)に導かれるように勇将知盛の姿が現れ、安徳天皇を始め一門悉く(ことごとく)入水するまでの経過と、自らの修羅の戦いの有様や碇を頭上に戴いて海中に飛び込んだ知盛の幻影を旅僧は見たのであった。とういう構成を持つ「舟弁慶」の類曲である。
 壇ノ浦は急流で知られる関門海峡の早鞆の瀬戸に面した一帯をいう。
 平家滅亡の悲哀やその最後を美しくした総帥の面目と情趣に想いを馳せる海岸である。

謡曲史跡保存会

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海峡守護『碇』の由来

 水天皇大神安徳天皇をまつる赤間神宮は、関門海峡の鎮めの神と仰がれています。
 今を去る八百年の昔、源平壇ノ浦の戦いに平家の大将知盛は全てを見収め、碇を背に海中深く御幼帝のお供をして、龍宮城に旅立たれました。
 それより『碇知盛』の名で能や歌舞伎に演じられ、勇将振りがたたえられています。
 このいわれをもとに、海参道の入口を選び現代の碇を奉納し、御祭神のみたまを慰め、海峡の平安を祈るものであります。

昭和六十年五月二日
源平八百年祭を記念して
寄進 下関海洋少年団

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平知盛」カテゴリの記事

コメント

壇ノ浦の記事はこれで見事にまとめられていますね!
素晴らしいです!

四方さん、ありがとうございます。

下関の記事、まだまだ続きます(#^.^#)

>「見るべき程の事をば見つ。今はただ自害せん」
知盛享年34歳なのですね。

私はその倍ちかく生きていますが、まだまだ見足りません。
しぶとく生きます(笑)

めりいさん、私もまだまだ見足りないですよ~~

もっともっと美しいものをたくさん見たいです(#^.^#)

お互いしぶとく生きましょう!

こんばんは。うわぁ、碇潜だー。
謡を初めて間もない頃、「すもぐり」と読んで先生に叱られた思い出の曲です。

旅の人が「これ何」と問うと誰かが現れ由来を話し、実はそれが本人で当時の有り様を語り舞うのが能のパターン。
前段で静と義経の別れを描き、後段で知盛の幽霊が薙刀を持って暴れる「船弁慶」の方が能としては面白いので、パターン型の「碇潜」の上演は少ないです。
でも、碇と知盛の話を語っているので、謡はとても面白いなーと思います。

現地で見たいです、知盛様の勇姿。

つねまるさん、こんばんは!

「すもぐり」の話は、思わず笑ってしまいましたが
以下、素晴らしい解説をありがとうございます!

歌舞伎は、ちょくちょく見るのですが、能に関しては
わかりません(^_^;)
そのようなパターンなのですね。
能を見るにあたって、そういう知識があるないとではまるで面白さが違ってきますよね。

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