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2016年1月31日 (日)

赤間神宮(7)大連神社

赤間神宮の境内の東、紅石山のふもとにある大連神社

かつて日本の租借地であった関東州の大連市(現 中華人民共和国遼寧省大連市)にあった大連神社の神体を日本に持ち帰り再建したもので、赤間神宮境内社となっています。


門には満州国国務総理大臣を務めた張景恵の書による扁額がかけられています。

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壇の浦魚釣船由来記
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壇ノ浦の漁師たちは、釣りをする時、平家一門に威儀を正して正座で釣る風習があったのだそうです。

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御社殿の由来
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大連神社の御社殿は、昭和のはじめ熱田神宮御造営奉賛の功績により撤下御用材の備州桧を拝受された貝島太市翁が、渡辺長男氏謹作の明治天皇御尊像を奉斎するために、下関市長府の自邸内に日の本神社として建立鎮祭せられた御社殿を、御神縁を得て貝島家からの譲渡をいただきこの地に移築されました。(駒札より)

大連神社の歴史

1907年(明治40年)10月1日に創建。大連に住む日本人より氏神として崇敬され、1944年(昭和19年)に旅順の官幣大社関東神宮が鎮座するまでは関東州の中心的な神社であった。 1945年(昭和20年)8月の第二次世界大戦の日本の敗戦の後、ソ連軍が満州・関東州に進攻し、日本人の住居や商店などが襲われた。大連神社にもソ連兵が上がり込んだが、神職が雅楽や舞楽を披露してそれがソ連兵の間で評判となり、大連神社は全く被害を受けなかったという。 大連神社の神体と神宝は、1947年(昭和22年)3月14日、元大連神社宮司・水野久直の手によって日本に持ち帰られ、福岡市の筥崎宮に仮安置された。その後、水野が赤間神宮宮司に赴任した際、その境内に小祠を建てて大連神社の神体を遷し祀った。1973年(昭和48年)の第60回神宮式年遷宮の際に古社殿を譲り受け、1980年(昭和55年)、本殿北東の現在地に移築して正遷座祭を行った。(Wikipediaより)

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御由緒

御祭神   天照皇大神 大国主大神 明治天皇 靖国神

大祭日   五月十日 十月一日       

明治三十九年十月一日 日露戦戦役終焉と共に満州国の玄関口大連市総氏神として鎮座せられて以来四十星霜 昭和二十年八月大東亜大戦終結するやソ連軍保護のもと同二十二年三月十四日御神体は神宝と共に帰国し福岡市筥崎宮に仮奉安 同二十八年三月赤間神宮神苑に小祠を建立やがて伊勢神宮第六十回式年遷宮に際し御祭神の由緒に依り古殿一棟を賜り造営事業を開始し神域の拡張成るや関門の風光絶佳なる此の聖地に永代鎮座されたりと云爾(駒札より)

大東塾十四烈士之碑
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コメント

大連神社の由緒や内容は素晴らしいです。
現、中華人民共和国大連市から神体と神宝は、1947年(昭和22年)3月14日、元大連神社宮司・水野久直の手によって日本に持ち帰られたことなどはは初めて知りました。

四方さん、10年前の参拝では、この大連神社を見逃していました。
赤間神宮も隅々まで見ると、立派な境内社があるのですね。

>壇ノ浦の漁師たちは、釣りをする時、平家一門に威儀を正して正座で釣るのだそうです。

アップして、この案内板を読んでみました。

平家の残党たちが漁師となったので、正座して崩さず釣りをしたのですね。
立派なものです。
この舟が名残で、今はもうそんな風習はないようですが、いったいいつ頃までそんな風習が続いたのか興味があります。

めりいさん、こんばんは!
コメントありがとうございます。

昨年、この壇ノ浦の猟師さんの番組を観たのですが、年配の猟師さんで、今でもその風習を続けている人がいるそうです。

こんばんは。いつもお世話になっております。
なるほどー。社殿は熱田神宮のご用材で、ご神体とご神宝は遠く大連からですか。
雅楽や舞楽を披露したのは咄嗟の判断だったのでしょうか。ソ連兵への勝手なイメージですが、それがどうしたー!っと壊しそうな気がしますのに。
よく残りましたね。驚いてしまいました。

つねまるさん、こんばんは!

コメントありがとうございます。
一つの神社に、熱田神宮やら、大連やらいろんなところが関わっているのだと思うと、神社の御由緒をちゃんと読まなくてはいけませんね。
前に来た時は、完全に見逃していました(-_-;)

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