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赤間神宮(8)紅石稲荷神社

大連神社の横には紅石稲荷神社があります。

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源平の争乱時、平家一門が安徳天皇を奉じ西還するに際、 京都の伏見稲荷大明神を勧請して乗船。長門国壇ノ浦に着いたとき、紅石山景勝の地を選び、紅石稲荷神社を創建したと伝えられています。

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以来、多くの人々の崇敬を受けましたが、昭和20年7月2日の空襲により社殿を焼失。鎮守八幡宮宮域内に仮殿を設けて、一時的な宮居としました。

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やがて、源平800年を迎えようとする昭和58年の秋に、この地を選んで神殿を造営し、昭和59年2月6日に竣工、遷座式と祝大祭がとりおこなわれました。

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紅石稲荷神社 御由緒

今を去る八百年前、源平の争乱起るや、平家一門は御幼帝安徳天皇を奉じて西遷するに際し、皇城の鎮護たる京都伏見稲荷大明神を勧請し乗船、長門国壇の浦に到るや、紅石山景勝の地を撰びて鎮祭されたるを以て創建とす。
尓来御神徳は西海に光被し、御霊験またあらたかにして多くの崇敬を専らとし給うも、昭和二十年七月二日戦災に遭い、社殿を消失鎮守八幡宮々域内に仮殿を設けて誓時の宮居とす。
やがて源平八百年を迎えむとする昭和五十八年秋、この地を選び神殿造営の工を起すや、奉賛会長大和順一はじめ氏子信者一丸となりて募財、昭和五十九年二月六日初午の吉辰を寿きて施工、西遷座ならびに奉祝大祭を厳修せり。
ここにその由来を記し似て後世に伝えむと伝爾。
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安徳天皇」カテゴリの記事

コメント

>源平の争乱時、平家一門が安徳天皇を奉じ西還するに際、 京都の伏見稲荷大明神を勧請して乗船。長門国壇ノ浦に着いたとき、紅石山景勝の地を選び、紅石稲荷神社を創建したと伝えられています。
やっぱり、平家は復興を願って伏見稲荷大明神を勧請していたのですね。当然ですね!

投稿: willy_tsuguo_shikata | 2016年2月 9日 (火) 05時49分

四方さん、コメントありがとうございます。

伏見稲荷大明神の勧請には、平家の再興の願いが籠められていたのですね。

投稿: しずか | 2016年2月 9日 (火) 11時07分

写真を見たとき、伏見稲荷大社かと思いました。
記事を読んで納得・・

こんな風に、神社の歴史が書いてあるとよく分かるし、興味がもてますね。

投稿: めりい | 2016年2月12日 (金) 13時13分

めりいさん、こんばんは!
コメントありがとうございます。

>写真を見たとき、伏見稲荷大社かと思いました。

あ~たしかに!
伏見稲荷大社のミニチュア版みたいでした(*^_^*)
私、伏見稲荷の方は、鳥居の半ばで気分が悪くなり、挫折しました。

投稿: しずか | 2016年2月12日 (金) 22時31分

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