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2016年4月

2016年4月20日 (水)

下関の末廣稲荷神社

北前船で賑わった下関には、遊郭街として稲荷町、裏町がありましたが、現在は街並みは変わり、わずかに末廣稲荷神社が往時を偲ばせてくれます。

元を辿れば、壇ノ浦の戦いで、生き残った平家の女官たちが、平家一門の菩提を弔い、遊女となったといわれています。

ビルの合間を通り抜けて、末廣稲荷神社を参拝しました。

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末廣稲荷神社

御祭神 倉稲魂神
例祭 三月牛の日
由緒 稲荷大明神。当社開基は人皇第五十一代平城天皇御宇
大同四年巳丑九月七日鎮座
  棟 札
奉造立稲荷社一間四面一宇
 右恙起者奉爲金輪聖王天長地久御願成就殊当
 将軍御息安穏国土静謐、当社大宮司子孫繁栄寿命
 長久(以下解読不明)大同四年丑九月吉祥日
 
 右の古文書が伝えている通り当社は平安時代初期の大同四年(西暦八〇九年) に祀られた下関最古の稲荷神社で古来商家の崇敬篤く赤間関の繁栄の 守護神として信仰されてきました。社の麓はもと稲荷町と言って日本の郭の 発祥地とも言われております。数々の妓楼、名岐(ママ)の名と共に稲荷町の名は全国に 鳴り響いたものです。井原西鶴、十返舎一九、頼山陽など古くから文人墨客が 訪れ幕末の志士、高杉晋作、伊藤博文、山縣有明、井上馨の夫人は 当地の出身であり全国からの参拝者も多くありました。
往時は背後に稲荷山を控え境内には末広さんの桜と称して大きな 桜並木があり信仰と憩いの場所でした。昭和二十年の空襲によりすべてを 焼失し稲荷町の面影はきえておわりました。其の後昭和二十八年に復興され ましたが近年社殿の打損がはげしくこの度たくさんの人々の奉賛によりまして 昭和六十一年十二月二十日に新社殿が朱も鮮やかに造営されました。

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2016年4月11日 (月)

下関の遊郭跡 平家の女官と稲荷町

下関の唐戸市場の北側、現在の赤間町は、昭和20年代まで稲荷町と呼ばれていました。

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この地の町名は、大同4年(809)の創建と伝えられる稲荷神社に由来するもので、北前船の寄港で賑わった江戸時代には、壇ノ浦で敗れた平家生き残りの女官らとの血縁が語られる遊女に端を発した、格式の高い花街として広くその名を知られ、妓楼「堺屋」には、高杉晋作の愛人うのもいたそうです。

最盛時には、大坂屋を中心とした花魁芝居や先帝祭の上臈参拝行事の起源の地としても知られ、また幕末維新の頃には、高杉晋作、伊藤博文ら若き志士たちもこの界隈を往来していた所です。

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稲荷神社(末廣稲荷神社)
 

 平安時代の大同四年(西暦八〇九年)に倉稲魂神 (うかのみたまのかみ)を祀った、赤間最古の神社 で、古来商家の崇敬が篤く、赤間関の繁栄と守護神 として信仰されてきました。
 神社の麓はもと稲荷町といって、日本の郭の発 祥の地ともいわれております。下関は江戸時代初 めの頃から北前船(千石船)の寄港地となり、西の 浪速(大阪)と称されるほど繁栄していました。その 隆盛と共に当地も栄え、数々の妓楼、名妓の名と共 に稲荷町の名は全国に鳴り響いたものです。井原 西鶴・十返舎一九・頼山陽など、古くから文人墨客 が訪れていました。
 また、高杉晋作の愛人おうのは、裏町堺屋の芸妓で、 源氏名を「此の糸」、通称を「うの」といい、「三味線 師匠」という身でした。  
稲荷神社は、町の中心にあり、境内には末広稲荷 さんの桜と称して大きな桜並木がありました。 信仰と憩いの場でしたが、昭和二十年の空襲に よりすべてを焼失し、繁栄の面影はとどめていま せん。
 昭和二十八年に神社は復興されましたが、老朽 化したため、多くの方の奉賛により、昭和六十一年 十二月に、新社殿が朱色も鮮やかに造営され、再び 厚く信仰されています。

 

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2016年4月 2日 (土)

火の山公園

火の山ロープウエイで火の山公園へ。

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火の山は、瀬戸内海国立公園の一角に位置する標高268mの小高い山で、山頂からは、源平最後の戦いの場となった壇之浦古戦場満寿・干寿の島をはじめ関門海峡を一望することができます。            

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「火の山」という名前は、かつて山頂でのろしを上げていたことに由来しているそうです。

また、夜景は1000万ドルの価値があると言われています。

私は、10年前に夜景を見たことがありますが、それはそれは絶景でした。

山頂展望台には回転展望レストランや土産品の売店もあります。

そして義経さまと平知盛さまの顔出し看板も!

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今年も今頃は、桜が満開でしょうね。

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(2015.3.30撮影)

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