豊功神社から望む満珠・干珠島
櫛崎城趾の碑から坂を登って行くと豊功神社にでます。
明治元年(1868年)、旧藩主毛利家の霊屋として創建されました。
祭神は応神天皇、武内宿禰(すくね)、大国主大神穂田元清、毛利秀元、毛利光広、毛利綱元、毛利元朝、毛利元矩、毛利匡広、毛利師就、毛利匡敬、毛利匡満、毛利匡芳、毛利元義、毛利元運、毛利元周、毛利元敏歴代の長府藩主を祭神としています。
大正6年(1917)6月、長府藩初代藩主・毛利秀元以下を祀った豊功社を忌宮神社境内から移して、それまであった櫛崎・松崎・宮崎の各神社を合祀し、豊功神社となりました。
本殿は昭和44年焼失しましたが、平成13年11月10日に再建されました。
龍神社
七福神社
豊功神社の境内からは満珠・干珠を一望できます。
満珠島・干珠島
壇之浦の合戦前、源氏軍は、この島の周辺に本陣を構えたといわれています。
「日本書紀」の仲哀紀に登場するこの無人島は、忌宮神社の飛地境内で、祭神の神功皇后が住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの玉、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)から生まれたという伝説がある島。また、彦火火出見尊が海神より授かった潮満瓊(しおみつたま)と潮涸瓊(しおひのたま)を両島に納めたという伝説もあります。
原始林は、大正15年10月20日天然記念物に指定されています。
二島は至近距離にあり、伝説ではどちらが満珠島か干珠島かはっきりしていませんが、忌宮神社では沖の大きい方を満珠島、岸に近い小さい方を干珠島と呼んでいるそうです。
豊功神社は初日の出の名所としても有名です。
祈願の鐘
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「源義経」カテゴリの記事
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こんにちは。いつもお世話になっております。
おおおー!憧れの景色です!いいなぁ、初日の出でなくてもいいから、ここで日の出を見たいなぁ。
神仏分離で残った鐘ではなく、音霊信仰によるものとは、面白いです。
てっきり源平のどちらかが、兵を鼓舞するために鳴らしたのかと。
投稿: つねまる | 2016年5月19日 (木) 18時22分
つねまるさん、こんばんは!
いつもありがとうございます。
この景色、一度見たくて長府まで足を延ばしました。
下関は、源平、幕末ともに舞台になっているので、一石二鳥です(^_-)
投稿: しずか | 2016年5月19日 (木) 23時00分
長府の豊功神社から見る初日の出は日本一だそうですね!
豊功神社の境内からは満珠・干珠島を一望できます。
見事な景色と共に源義経が満珠・干珠島を船軍団の集結場所としたことでも有名ですね。
投稿: willy_tsuguo_shikata | 2016年5月20日 (金) 05時40分
四方さん、コメントありがとうございます。
この時、参拝客は私ただ一人でしたので、この素晴らしい景色を一人占めしました!
長府の豊功神社から見る初日の出も一度見てみたいものです。
投稿: しずか | 2016年5月20日 (金) 11時15分
満珠島と干珠島は、遠くからだと岩石の島のように見えますが、原始林のある島なのですね。
だから源氏軍が本陣を置いたわけですね。
投稿: めりい | 2016年5月22日 (日) 15時35分
めりいさん、満珠島と干珠島は、10年前の訪問では見られなかったので、この時やっと見ることができ感動しました。原始林の島と聞いて、増々興味が湧きますね。
投稿: しずか | 2016年5月22日 (日) 16時37分