甲宗八幡神社(2)平知盛の墓
甲宗八幡神社の境内には、平知盛の墓と伝えられる石塔があります。
墓は甲宗八幡神社が鎮座する筆立山にありましたが、昭和28年の大水害の時に流され、拝殿裏に傾いたままであったのを、ここに再祀したそうです。
伝 平知盛の墓
(向かって左・・・墓 向かって右・・・供養塔)
この石塔は平知盛(1152~1185)の墓として甲宗八幡宮に伝わるものです。知盛は平清盛の四男で、勇猛果敢な武将として能「船弁慶」などの芸能にも取り上げられております。父清盛亡き後、平家の総帥となった兄宗盛を補佐し、平家一門の統率的存在となり、寿永3年(1184年)所領の彦島に本拠地を置き、古城山山頂に門司城を築いて戦に備え、翌年の壇之浦の戦い(1185年3月24日)では田野浦に兵を集め、満珠・干珠島付近に布陣する源氏を攻めますが、義経戦略の前に武運なく敗れ、安徳天皇をはじめ平家一門の最後を見届けると「見るべき程の事は見つ(見るべきものはすべて見た)」と潔く入水して一生を終えました。
墓は甲宗八幡神社が鎮座する筆立山山中にありましたが、昭和28年の文字の大水害により流れ、拝殿裏に傾いたままの状態にありましたので、ここに再祀しております。
(案内板より)
応援のポチッのご協力お願いします。
最近のコメント