門司の和布刈神社
関門海峡の海底トンネルを抜けて、門司側に渡ると、すぐに和布刈神社があります。
境内の目の前は壇之浦。
関門海峡の一番幅が狭く潮の流れが速い早鞆瀬戸(はやとものせと)に面した九州側に建っています。
鳥居の手前の左右の石灯籠は、細川忠興が寄進した石灯籠といわれています。
和布刈神社は、神功皇后の三韓征伐後奉祀されたもので、仲哀天皇9年(200年)創建とされ、古くは「隼人明神」とも呼ばれました。
海峡の守護神として崇敬を集め、建武3年(1336年)足利尊氏、応永年間(1394年~1428年)大内義弘、天正3年(1575年)仁保常陸介などによる諸社殿の修築造営が伝えられ、現在の社殿は明和4年(1767年)小倉藩主小笠原忠総の再建によるものです。
壇ノ浦の戦いの前夜には平家一門が酒宴を開いたと伝えられています。
「和布刈」とは「ワカメを刈る」の意であり、毎年旧暦元旦の未明に三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って神社の前の関門海峡に入り、海岸でワカメを刈り採って、神前に供える「和布刈神事」(めかりしんじ)が行われます。
和銅3年(710年)には神事で供えられたワカメが朝廷に献上されているとの記述が残っており、福岡県の無形文化財に指定されています。
和布刈神社
九州最北端に位置するこの神社は、社記によると、仲哀天皇九年に比賣大神、日子穂々手見命、鵜〔茲鳥〕葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、豊玉日賣命、安曇磯良神の五柱の神を祭神として、創建され、江戸時代までは、速戸社(はやとしゃ)とか隼人(はやと)社と呼ばれていました。
近世末までは、時の領主である大内氏、毛利氏、小笠原氏の崇敬庇護厚く、神殿前には細川忠興公が寄進した灯籠があります。
この神社には古くから和布刈神事が伝えられていますが、李部王記によれば、和銅三年(710)に和布刈神事のわかめを朝廷に献上したとの記録があり、奈良時代から行われていたものです。
神事は、毎年旧暦大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われます。三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめ刈り採って、神前に供えます。
わかめは、万物に先んじて、芽をだし自然に繁茂するため、幸福を招くといわれ、新年の予祝行事として昔から重んじられてきたものです。
神事のうち、わかめを採る行事は、県の無形民俗文化財に、また、当神社に伝存する中世文書九通は、市の有形文化財に指定されています。
北 九 州 市
北九州市教育委員会
早鞆稲荷
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和布刈神社
懐かしい単語ですね。
大河ドラマが義経の年に、しずかさんもラメールさんも行かれましたね。
私は門司には何度か行ってますが、和布刈神社にはまだご縁がありません(*_*;
投稿: めりい | 2016年6月 6日 (月) 13時25分
めりいさん、コメントありがとうございます!
門司には何度か行かれているのですね。
和布刈神社は隅っこにあるから、目指していかないと、たまたま通るということはないでしょうね。
また機会があったら、参拝してみてください!
投稿: しずか | 2016年6月 6日 (月) 14時12分
はじめまして。
平清宗の事を調べていてこのブログにたどり着きました。
とてもおしゃれで、また詳しく、素晴らしいブログだと思います。
以前一時福岡に転勤になった時、途中で壇ノ浦のサービスエリアに停まりましたが、時間がなく下関や門司には降りることは、ありませんでした。
また、機会を見つけて必ずお参りしたいと思っています。
投稿: 平家人 | 2016年6月28日 (火) 22時45分
平家人さん、はじめまして!
訪問ありがとうございます(#^.^#)
またお褒めのお言葉までいただき嬉しいです!!
私が初めて壇ノ浦に行ったのは、2005年なのですが、また10年経って行きたくなり、再度下関~門司を回って来ました。
風光明媚なエリアでの歴史散策、ぜひいつかお楽しみください!
投稿: しずか | 2016年6月28日 (火) 23時38分