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2016年10月

善光寺 佐藤兄弟の供養塔

善光寺の山門の西側にある供養塔は、源義経の忠臣・佐藤継信・忠信兄弟の冥福を祈って建てられたといわれる二基の供養塔です。

      山門
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    佐藤兄弟の供養塔
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境内で最も古い石塔で、長野市の文化財に指定されています。

継信は、屋島の戦いで、平家方が義経を狙って放った矢を身代わりとなって受け、戦死したとされています。

忠信は、義経と別れ、京に戻ったところを糟屋有季らの追捕を受け、戦ったすえに自害したといいます。

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源頼朝ゆかりの善光寺の駒返り橋

仲見世通りから善光寺の山門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197)源源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。

善光寺参道                 仁王門

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駒返り橋

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その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます。

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善光寺は、今までの歴史の中で何度も火災に遭い、治承3年(1179)の善光寺炎上の際のことが、『平家物語』に記されています。

当時、善光寺の火災は不吉の兆しとされたことから、文治3年(1187)に善光寺再建を頼朝が命じ、建久2年(1191)に完成。同年10月22日、金堂の供養が行われました。
その後、建久9年(1197)には自らも善光寺を参拝したということが、『吾妻鏡』にも記されています。

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源頼朝ゆかりの鶴ケ橋(長野)

長野駅から善光寺に向かう表参道には、一丁(約109m)ごとに「十八の丁石」が置かれています。

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十念寺の近く、「新田町」信号と「問御所町」信号の中間あたりに昔、「鶴ヶ橋」という橋がありました。

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源頼朝が、善光寺参詣の途中、この橋の下を流れる北八幡川で身を清め、鎌倉の鶴ヶ丘八幡宮を拝んだと伝えられていることから、この名前がついたといわれています。

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