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2016年10月12日 (水)

源頼朝ゆかりの善光寺の駒返り橋

仲見世通りから善光寺の山門へ進む参道の入り口にある石橋は、建久八年(1197)源源頼朝が善光寺を参詣した時に、馬の蹄が穴に挟まってしまった為に駒を返したという話から「駒返り橋」と呼ばれています。

善光寺参道                 仁王門

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駒返り橋

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その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます。

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善光寺は、今までの歴史の中で何度も火災に遭い、治承3年(1179)の善光寺炎上の際のことが、『平家物語』に記されています。

当時、善光寺の火災は不吉の兆しとされたことから、文治3年(1187)に善光寺再建を頼朝が命じ、建久2年(1191)に完成。同年10月22日、金堂の供養が行われました。
その後、建久9年(1197)には自らも善光寺を参拝したということが、『吾妻鏡』にも記されています。

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源頼朝」カテゴリの記事

コメント

>その馬蹄の凹みは現在も「駒返り橋」の左側に見ることができます

あら~~知らなかったわ~
単に、橋の名前として残っているだけだと思っていました。

案内板にも書いてほしいね。

めりいさん、こんばんは!

この凹みのこと、帰ってきてから知りました(-_-;)

知っていれば、もっとアップで撮ったのに・・・

このように、後悔することが多々ありますよ(^_^;)

 さすが、頼朝。800年以上たった今も馬蹄の
くぼみが、埋まらずに残っているのが、凄いですね。

平家人さん、こんにちは!

頼朝公が通ったり、お参りしただけでも、何百年も後まで伝えられていくというのは、やはり歴史に残る偉人だからなのでしょうね。

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