10月の下旬、高野山に出かけて来ました。
今年は暖かい日が続いたせいか、紅葉は遅れているようです。
蓮池 中門

根本大塔

金堂は平安時代から高野山の総本堂であり、昭和元年(1926年)に焼失しました。
昭和9年(1934年)に再建され、鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目です。
現本尊は薬師如来(阿閦如来)で、金堂再建時に新造された高村光雲の作。
金堂

平安時代、保元元年(1156年)には、平清盛が巨大な両界曼荼羅を金堂に寄進しました。
「平家物語」には、平清盛が自らの頭の血で、胎蔵曼荼羅の中尊像を描かせたと記され、血曼荼羅とも呼ばれ、重要文化財になっています。
血曼荼羅の極彩色は、デジタル復元され、実物は高野山霊宝館に収蔵され、金堂には模写が展示されています。
以下、2015年7月3日の橋本新聞の記事です。
平安時代末期、平清盛が彩色に自らの血を混ぜて奉納したと伝わる高野山真言宗総本山・金剛峯寺(和歌山県高野町)所蔵の重要文化財「両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)」=別名・血曼荼羅=が、凸版印刷(本社・東京)の最新技術で、当時の極彩色の「想定色(そうていしょく)平成再生版」として復元され、7月3日、高野山・壇上伽藍(だんじょうがらん)の金堂で「奉納開眼法会」が営まれた。
金堂内正面に掲げられた両界曼荼羅図は仏の世界が描かれ、向かって左側が「金剛界」、右側が「胎蔵界」で、原寸大(縦4・3メートル、横4メートル)と縮小版(縦1・98メートル、横1・86メートル)の各2幅。
両界曼荼羅図は仏の世界が描かれ、向かって左側が「金剛界」、右側が「胎蔵界」で、原寸大(縦4・3メートル、横4メートル)と縮小版(縦1・98メートル、横1・86メートル)の各2幅。
金剛峯寺の説明によると、保元元年(1156)に平清盛が奉納した通称「血曼荼羅」は、弘法大師・空海が、密教第七祖の中国長安・青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より密教を伝法、正式な継承阿闍梨として付与され、大同元年(806)にわが国に伝来した根本曼荼羅の系統の「現存最古の彩色曼荼羅図」としている。
この「血曼荼羅」も、長年の奉祀法会(ほうしほうえ)に伴い、諸仏尊や紋様などの線描彩色(せんびょうさいしき)に経年劣化(けいねんれっか)が生じたため、金剛峯寺と凸版印刷が「高野山開創1200年記念時」完成を目指し平成19年(2007)から本格的に復元に着手。X線撮影などで約1900体の仏像や紋様などを解明し、デジタルデータを基に特殊プリント技術を駆使して、平安末期の極彩色「血曼荼羅」を甦らせたという。
全文はこちら
↓
http://hashimoto-news.com/news/2015/07/03/29324/
読売新聞(2012年6月10日)の記事より

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