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2016年11月

2016年11月25日 (金)

高野山を訪ねて(4)西行桜と三昧堂

鳥羽法皇の北面の武士だった西行は、奥州平泉の旅から帰った後、高野山に草庵を結んで移り住み、以来30余年もの間、高野山で過ごしました。

西行が修行を行ったという三昧堂

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高野山の座主・済高(さいこう)が、平安時代中期、延長7年(929年)「理趣三昧」という儀式のために建てたお堂です。

当初は総持院境内にありましたが、平安時代末期にこの場所に移築されました。

この移築に、蓮華乗院(大会堂)の奉行だった西行が関わったと伝えられています。

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現在の建物は、江戸時代後期、文化13年(1816年)の再建です。

その御堂の前には、西行が三昧堂の移築・修造をした際の記念に植えたという桜があり、西行桜と呼ばれています。

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その桜は三昧堂が再建された文化年間(江戸時代後期)に枯れてしまいましたが、現在は何代目かの桜が後継ぎとして植えられています。

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2016年11月18日 (金)

高野山を訪ねて(3)不動堂

不動堂は、建久8年(1197年)、鳥羽上皇と美福門院の皇女の八条女院(暲子内親王)の御願により、行勝(ぎょうしょう)上人によって創建されました。

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初めは、高野山の一心院谷にありましたが、明治41年(1908)に伽藍境内に移築され、不動明王が本尊とし「不動堂」となりました。

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脇侍の八大童子は、運慶の作で国宝に指定され、現在は霊宝館に収蔵されています。

現在の建物は14世紀前半に再建されたもので、桧皮葺、入母屋造の住宅風仏堂。

国宝であり、世界遺産にも登録されています。

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2016年11月10日 (木)

高野山を訪ねて(2)六角経蔵

金堂の南西の六角経蔵は、平安時代末期、美福門院鳥羽法皇の菩提を弔うために紺紙に金泥で浄写された紺紙金泥一切経を納めるために、平治元年(1159)に建立されました。

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この紺紙金泥一切経は、美福門院がその持費として紀州荒川の庄を寄進されたことに由来して、荒川経とも呼ばれるようになり、六角経蔵は、別名「荒川経蔵」といいます。

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何度か火災に遭ったため、現在の塔は昭和9年(1934年)の再建です。
基壇付近に取っ手があり、時計回りに一周すると一切経を読んだのと同じ功徳を得られるといいます。

一方で美福門院は高野山に深く帰依しており、この経蔵に納める一切経のため、紀州荒川の荘園を高野山に寄進しました。このことから、六角経蔵は「荒川経蔵」とも呼ばれています。 

この経蔵に納められた紺紙金泥一切経は、重要文化財として、現在、高野山霊宝館に収蔵されています。

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2016年11月 2日 (水)

高野山を訪ねて(1)金堂 平清盛寄進の両界曼荼羅

10月の下旬、高野山に出かけて来ました。

今年は暖かい日が続いたせいか、紅葉は遅れているようです。

蓮池                       中門
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根本大塔
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金堂は平安時代から高野山の総本堂であり、昭和元年(1926年)に焼失しました。

昭和9年(1934年)に再建され、鉄筋コンクリート造、屋根は入母屋造の建築で8代目です。

現本尊は薬師如来(阿閦如来)で、金堂再建時に新造された高村光雲の作。

金堂
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平安時代、保元元年(1156年)には、平清盛が巨大な両界曼荼羅を金堂に寄進しました。

「平家物語」には、平清盛が自らの頭の血で、胎蔵曼荼羅の中尊像を描かせたと記され、血曼荼羅とも呼ばれ、重要文化財になっています。

血曼荼羅の極彩色は、デジタル復元され、実物は高野山霊宝館に収蔵され、金堂には模写が展示されています。

以下、2015年7月3日の橋本新聞の記事です。

平安時代末期、平清盛が彩色に自らの血を混ぜて奉納したと伝わる高野山真言宗総本山・金剛峯寺(和歌山県高野町)所蔵の重要文化財「両界曼荼羅図(りょうかいまんだらず)」=別名・血曼荼羅=が、凸版印刷(本社・東京)の最新技術で、当時の極彩色の「想定色(そうていしょく)平成再生版」として復元され、7月3日、高野山・壇上伽藍(だんじょうがらん)の金堂で「奉納開眼法会」が営まれた。
金堂内正面に掲げられた両界曼荼羅図は仏の世界が描かれ、向かって左側が「金剛界」、右側が「胎蔵界」で、原寸大(縦4・3メートル、横4メートル)と縮小版(縦1・98メートル、横1・86メートル)の各2幅。


両界曼荼羅図は仏の世界が描かれ、向かって左側が「金剛界」、右側が「胎蔵界」で、原寸大(縦4・3メートル、横4メートル)と縮小版(縦1・98メートル、横1・86メートル)の各2幅。

金剛峯寺の説明によると、保元元年(1156)に平清盛が奉納した通称「血曼荼羅」は、弘法大師・空海が、密教第七祖の中国長安・青龍寺の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)より密教を伝法、正式な継承阿闍梨として付与され、大同元年(806)にわが国に伝来した根本曼荼羅の系統の「現存最古の彩色曼荼羅図」としている。

この「血曼荼羅」も、長年の奉祀法会(ほうしほうえ)に伴い、諸仏尊や紋様などの線描彩色(せんびょうさいしき)に経年劣化(けいねんれっか)が生じたため、金剛峯寺と凸版印刷が「高野山開創1200年記念時」完成を目指し平成19年(2007)から本格的に復元に着手。X線撮影などで約1900体の仏像や紋様などを解明し、デジタルデータを基に特殊プリント技術を駆使して、平安末期の極彩色「血曼荼羅」を甦らせたという。

全文はこちら

  ↓

http://hashimoto-news.com/news/2015/07/03/29324/

読売新聞(2012年6月10日)の記事より

Photo

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