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2016年12月 7日 (水)

高野山を訪ねて(5)平清盛ゆかりの対面桜

もとは大塔の前、金堂の東辺りに桜があったそうです。

久安5(1149)年、落雷で焼失した根本大塔を再建するため、鳥羽上皇の命により「修造奉行」として平清盛が任命され、保元元年1156年4月29日、清盛は大塔を再建しました。

修造が終わり、完成時に高野山を参詣した清盛は、大塔の桜の樹のもとで、一人の老僧と出会います。その老僧は、大塔の修理のお礼を述べ、厳島神社の修理を清盛に勧めた上、「悪行を行うことがあれば、このさき子孫まで願望が叶うことはないだろう」と言い、二、三町ほど過ぎたところで、その姿を消しました。

清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと信じ、金堂に曼荼羅を奉納しました。

その後、清盛が老僧と出会った桜の木は「対面桜」もしくは「影向桜(ようごうざくら)」と呼ばれるようになりました。

中門をくぐった右側に対面桜があります。

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春はどのような花をつけるのか一度見てみたいものです。

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平清盛」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。いつもお世話になっております。
しずか様の高野山物語はこちらでしたのね♪源平とは憎いテーマですわ~♪

中門、大きいですよねー。というより、この辺りは全部大きくて感覚が麻痺します。
私は源氏側ばかりを見ていたので、清盛目線のお話、面白いです。

つねまるさん、こんばんは!
訪問ありがとうございますm(__)m

一か月後にまた高野山に行くとは、自分でも
信じられない行動でした(^_^;)
今回は、源平と真田の二本立てのテーマでした。
どうせなら今年中に行っちゃえ!と思って・・・
おっしゃる通り、源平側と平家側では見方も変わりますね。

対面桜は見過ごしたようです!小生の高野山の記事には掲載されていませんでした!本当に春の桜見たいですね!

四方さん、この対面桜、10月のツアーでは完全に見逃していました。
やはり、団体旅行では十分な時間が取れないので、隅々まで見学するのは無理ですね。
これを見逃したことに気が付いて、今回またここまで足を延ばしました。

 弘法大師のお勧めにより、清盛公が、厳島神社の修理,再興をなされたことは、平家にとっては、とても重要で意味のある事だったと思います。
奥の院の霊廟で、現在も禅定を続けておられる とされている、弘法大師空海が大勢の方の、心の中に生きていて、清盛公がお会いできたのも不思議ではないと思います。

平家人さん、こんばんは!
コメントありがとうございます。

高野山では、弘法大師にまつわる様々な話を聞きました。
特に、奥之院では、今もなお生きておられるような感じがしました。
清盛さまもそんな思いで、お会いしたのかもしれませんね。

対面桜。
そういえば、そんな話を聞いたことがあるな~と思い出しました。
中門の後ろにあるのですね。
分かりやすい場所にあるのに、なぜか私は見ていません。
もしかして、高野山に行った後に、聞いたのかも知れません。

めりいさん、コメントありがとうございます!

桜が咲いている時期ならば、目立つのかもしれませんが、
この季節は、花がないので、ついつい見逃してしまいますね。
中門が立派なので、そちらに目がいってしまうせいかも・・・

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