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2016年12月15日 (木)

高野山を訪ねて(6)大会堂(だいえどう)

鳥羽法王の皇女である頌子内親王(五辻斎院)が、鳥羽天皇の追福のため、蓮花谷に建てられたものを、治承3年(1179)にこの地に移しました。

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長日不断談義(ふだんだんぎ)の学堂として壇上に移し、蓮華乗院(れんげじょういん)と称するようになりました。後にこの論議は衰退し、現在では法会執行の際の集会所的役割を担うようになりました。

天保の火災で消失。現在の建物は、嘉永元年(1848年)の再建で、本尊に阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩と勢至菩薩が祀られています。

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鳥羽天皇」カテゴリの記事

コメント

鳥羽法皇にはたくさんの皇女がおられたのですね。
頌子内親王ですか、初めて知った名前です。

たくさんの皇女の中でも、一番印象に残っているのが「暲子内親王」です。
鳥羽法皇と美福門院の間に生まれ、両親の財産の多くを相続したとか。
忘れられない名前です(笑)

めりいさん、コメントありがとうございます。

暲子内親王!「平清盛」でもインパクトありましたね。

西行は、頌子にとっては祖父・徳大寺実能実能の家人であり、父・鳥羽院の北面武士でもあったので、こうした縁もあり、鳥羽院追善を目的とした蓮華乗院の造営にあたっては、当時高野山に住していた西行が勧進を勤めたそうです。

頌子内親王(しょうし(のぶこ)ないしんのう)=五辻斎院(いつつじのさいいん)とお読みするのでしょうか?昔の人名や京都の地名は、難しいですね。 五辻斎院御所跡は、上京区五辻通にあるようです。近くには、釘抜き地蔵さんもあるようです。一度行ってみたいです。

平家人さん、コメントありがとうございます。

読み方はその通りです。昔の人の名は難しいですね。

釘抜き地蔵は、何度か訪ねたことがありますが、その通りの名前は
意識していませんでした。またの機会に歩いてみます。
情報ありがとうございました。m(__)m

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