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2016年12月

2016年12月25日 (日)

高野山を訪ねて(7)東塔

東塔は、大治2年(1127年)、白河天皇の御願によって醍醐三宝院勝覚権僧正(かくごんのそうじょう)によって創建されました。

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本尊は同天皇等身の「尊勝仏頂尊」。

脇侍には「不動明王」、「降三世(ごうさんぜ)明王」がお祀りされています。

天保14年(1843年)の大火災で焼失し、140年後の昭和59年(1984年)に再建されました。

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2016年12月15日 (木)

高野山を訪ねて(6)大会堂(だいえどう)

鳥羽法王の皇女である頌子内親王(五辻斎院)が、鳥羽天皇の追福のため、蓮花谷に建てられたものを、治承3年(1179)にこの地に移しました。

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長日不断談義(ふだんだんぎ)の学堂として壇上に移し、蓮華乗院(れんげじょういん)と称するようになりました。後にこの論議は衰退し、現在では法会執行の際の集会所的役割を担うようになりました。

天保の火災で消失。現在の建物は、嘉永元年(1848年)の再建で、本尊に阿弥陀如来、脇侍に観世音菩薩と勢至菩薩が祀られています。

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2016年12月 7日 (水)

高野山を訪ねて(5)平清盛ゆかりの対面桜

もとは大塔の前、金堂の東辺りに桜があったそうです。

久安5(1149)年、落雷で焼失した根本大塔を再建するため、鳥羽上皇の命により「修造奉行」として平清盛が任命され、保元元年1156年4月29日、清盛は大塔を再建しました。

修造が終わり、完成時に高野山を参詣した清盛は、大塔の桜の樹のもとで、一人の老僧と出会います。その老僧は、大塔の修理のお礼を述べ、厳島神社の修理を清盛に勧めた上、「悪行を行うことがあれば、このさき子孫まで願望が叶うことはないだろう」と言い、二、三町ほど過ぎたところで、その姿を消しました。

清盛はこの老僧は弘法大師の化身であったと信じ、金堂に曼荼羅を奉納しました。

その後、清盛が老僧と出会った桜の木は「対面桜」もしくは「影向桜(ようごうざくら)」と呼ばれるようになりました。

中門をくぐった右側に対面桜があります。

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春はどのような花をつけるのか一度見てみたいものです。

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