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高野山を訪ねて(10)滝口入道・横笛ゆかりの大圓院

大圓院は、延喜年間(901~923)に聖宝理源大師により開設されました。
この時は多聞院と呼ばれていました。
 
表門
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寛永2年(1625年)の建築
 
玄関
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本堂
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12世紀頃、第8代住職を務めた阿浄とは、高山樗牛の小説『滝口入道』で有名な滝口入道のことです。
出家前の名前は斎藤時頼で、平重盛に仕える平家の武将でした。
 
ここ大圓院には、入道と横笛の悲恋が伝えられています。
滝口入道が大円院の縁にいた時、一羽の鶯が梅の木にとまり、綺麗な声で一声鳴くとその木の下にある井戸にポトリと落ちて、死んでしまいました。この鶯は、横笛の化身であり、高野山の滝口入道に会いに飛んで来たといわれる寺伝があります。
入道は、その鶯が横笛だと気づき、横笛の菩提を弔うため、阿弥陀如来の胎内に亡くなった鶯(横笛)を収め、「鶯の弥陀」として大圓院の本尊としました。
 
横笛碑
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鶯になった横笛がとまりにきた「鶯梅(おうばい)」という紅梅。
 
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鶯になった横笛が落ちたとされる鶯の井戸
 
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1600年(慶長5年)頃、柳川藩主・立花宗茂の帰依により宗茂の法号である大円院殿をもらい、寺名を「大圓院」に改称しました。
 
鐘楼
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貞享5年(1688)鋳造

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滝口入道・横笛」カテゴリの記事

コメント

高野山には、滝口入道と横笛ゆかりの大圓院があるのですね。
当時女人禁制の高野山に、鶯になり逢いに来た横笛はいじらしいです。
以前参拝した、平家の供養塔もある奥嵯峨の滝口寺で二人並んでおられるのは、良かったです。

平家人さん、こんにちは!
コメントありがとうございます。

この大圓院さん、私の泊まった宿坊から歩いて行ける距離でしたので
奥之院をお参りしてから、御朱印をいただきに行きました。
その際、ついでに境内を見学、撮影させていただきました。

嵯峨野の滝口寺も風情があって良いお寺ですね。

滝口入道の話は嵯峨野だけかと思ってましたが、続きは高野山にあったのですね。
鶯になって高野山まで追いかけてきた横笛は、可哀そう過ぎます。

めりいさん、こんばんは!
コメントありがとうございました。

高野山の旅は、真田丸と源平の両方を取材できて
私にとっては一挙両得でした。

横笛の悲恋は、嵯峨野から高野山まで舞台が続いていたのですね。
鶯になった横笛に気づいた入道は、いつも心に横笛を思い浮かべて
いたのかもしれませんね。

この大円院には泊まりました。朝の勤行にも参加しました!
本当に高野山には戦国武将のみならず近代に至っても多くの新しい会社の供養塔などが建設されていますね。

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