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2017年2月 4日 (土)

高野山を訪ねて(11)西室院の源氏三代の墓

高野山の西室院には、頼朝の三男・貞暁が建てた源家三代の墓といわれる三基の五輪塔があります。

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江戸時代の絵図には4基の五輪塔が描かれており、「頼朝公」「頼家公」「実朝公」「二位殿」と源氏三代に加え、北条政子の名前もあるそうです。 

五輪塔は、以前は山門前にあったそうですが、現在は庭園多聞苑あります

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貞暁(じょうぎょう/ていぎょう、文治2226日(1186318日) - 寛喜3222日(1231327日)) は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶。源頼朝の三男で第4子(庶子)。母は伊達氏の祖と言われる常陸入道念西の娘・大進局。異母兄頼家の4歳年下、異母弟実朝より6歳年長になる。通称を鎌倉法印といった。

母・大進局は大倉御所に出仕する侍女であったが、頼朝の寵愛を受け懐妊する。しかし頼朝の正室・北条政子がこれに気づいたため、その怒りを畏れた頼朝によって遠ざけられ、家臣の長門景遠の宅にて男児を出産する。政子の嫉妬を恐れて出産の儀式は省略され、景遠は母子を匿った事を知った政子の勘気を蒙り、子を連れて逃げ深沢の辺りに隠居した。その後も政子を恐れて乳母のなり手がないなど、人目を憚るようにして育てられる。異母弟の実朝が生まれる3ヶ月前の建久3年(1192年)519日、7歳の時に仁和寺の法眼隆暁(一条能保の養子)に弟子入りして出家するため上洛する。頼朝は出発の夜、密かに息子の元を訪れ、太刀を与えている。

同年616日、頼朝の義弟一条能保に付き添われて仁和寺の勝宝院に入室した。法名を能寛と名乗り、更に修行を重ねた後、法名を貞暁と改め、高野山に登ってより一層俗界から遠ざかった。これ以降、源氏一族が権力闘争の中で次々に命を落とす中で、世間と隔絶した中で一人修行に励み、人々の尊崇を集めた。建保7年(1219年)に異母弟源実朝を暗殺した甥の公暁は、貞暁の受法の弟子であった。

その晩年には遂に政子も貞暁に帰依し、彼に源氏一族の菩提を弔わせるべく援助・出資を行なった。これを受けて貞暁は、高野山の経智坊に丈六堂という阿弥陀堂を建立、この中に安置した阿弥陀如来座像の胎内に父・頼朝の遺髪を納めて供養したほか、異母弟である3代将軍実朝に対しても五輪塔を設営して追善を行なっている。

一説によると、実朝の死後その野心を政子に疑われ、4代将軍就任を打診されたが、片眼をえぐり出してこれを拒否したと伝えられる。政子は貞暁の潔さに落涙し、二度と彼を疑うことがなかったという。

寛喜3年(1231年)、高野山にて46歳で死去(自害したという説もある)。これにより、頼朝の男系男子の子孫は断絶した(男系女子も3年後の竹御所死去により途絶え、頼朝の直系子孫は完全に断絶)。なお、『尊卑分脈』は貞暁と能寛を別人としているが、これは誤りである。(Wikipediaより)

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源頼朝」カテゴリの記事

コメント

貞暁(じょうぎょう/ていぎょう、文治2年2月26日(1186年3月18日) - 寛喜3年2月22日(1231年3月27日)) は平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての僧侶。源頼朝の三男で第4子(庶子)が仏門に入っていることは知っていましたが、これほど詳しくは知りませんでした。ありがとうございました。

四方さん、コメントありがとうございました。

この源氏の墓は、二回目の高野山に行く直前に知りました。
真田の旅であるはずでしたが、思わぬところで、源平の旅にもなり
私にとって収穫の多い旅行でした。

権力闘争の末、源氏は三代で滅びましたが、またそのお墓が高野山にあるとは知りませんでした。しかし、元々親兄弟なのだから亡くなって成仏した後は、一緒におられても不思議でないと思いました。

平家人さん、こんばんは!
コメントありがとうございました。

私も高野山で源氏の墓を見られるとはびっくりでした。
源氏は、平家と違って、一族の間で殺し合いをしましたが
あの世ではどちらも安らかに眠って欲しいですね。

え~~頼朝に三男がいたのですか。
これは知りませんでした。

>政子の怒りを畏れた頼朝によって遠ざけられ・・
これって徳川秀忠とお江の関係と似ていません?(笑)

いつの世も、妻に弱い夫がいるのですね。

めりいさん、コメントありがとうございました。

この三男のことは、ドラマや映画などには出てきませんよね?
数多い子供でないのなら、登場してもおかしくないのに・・・
と思いました。

政子さんとお江・・・どちらも恐妻ですね(..;)

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