高野山を訪ねて(12)鳥羽天皇皇后陵
不動院の参道を進んでいくと、鳥羽天皇皇后陵が左手にあります。
不動院に紺金泥阿弥陀経、阿弥陀三尊を治められた美福門院(藤原得子)のご遺命によりこちらに埋葬され、丸山御陵と称して以来、当院が供養奉仕をしているのだそうです。
得子は平治の乱の収束を見届けた後、永暦元年(1160年)11月23日、44歳にして白河の金剛勝院御所において崩御。遺令により遺骨は高野山に納められた。この時、女人禁制である高野山ではその妥当性が問題になった。(Wikipediaより)
不動院は、不動明王を本尊とし、延喜7年(906年)済高大僧正が西谷に開基した12ヶ院のひとつです。
山階宮家菩提寺としても知られています。
こちらの宿坊は、特に外国人観光客から人気があるそうですよ。
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コメント
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高野山を訪ねて「鳥羽天皇皇后陵」と「不動院」は素晴らしいですね!
投稿: willy_tsuguo_shikata | 2017年2月13日 (月) 06時21分
美福門院は、鳥羽上皇に寵愛され近衛天皇も生まれたが、早世され、
また権力争いを、招かれた。
その為今までの俗世から離れて、京都ではなく高野山にお墓を造られたのでしょうか?
投稿: 平家人 | 2017年2月14日 (火) 17時12分
四方さん、コメントありがとうございました。
真田の旅が、源氏の旅ともなり、高野山を歩いていると
偶然にもこういうものが見えてくるとは。。。
自分でもびっくりしました。
投稿: しずか | 2017年2月14日 (火) 20時41分
平家人さん、コメントありがとうございました。
戦乱の場となった京都から離れて、高野山に身をおきたかったのでしょうか。
身分の高かった人も最後は寂しい人生ですね。
投稿: しずか | 2017年2月14日 (火) 20時43分