« 2017年2月 | トップページ

2017年3月

高野山を訪ねて(16)高野山霊宝館

高野山霊宝館は、高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に有志者の寄付と金剛峯寺によって開設されました。
この時に建てられた本館は、平成10年(1998年)に登録有形文化財として指定されています。
Img_2436 Img_2437
 
その後、大宝蔵、収蔵庫が増設されました。
 
Img_2440 Img_2441
 
現在、高野山霊宝館では、国宝21件、重要文化財143件、和歌山県指定文化財16件、重要美術品2件、合計182件、約2万8千点弱を収蔵し、未指定品ともなると5万点以上を数えるとのことです。
その中には、宝簡集巻第33巻所収「国宝 源義経自筆書状(平安時代)」があります。
義経が高野山の訴えに対して認めた自筆の書状。
平氏が西海に没しようとする時期のこと、高野山の所領であった阿弖河庄(あてがわしょう)が横領される事件が起った。この一件に対し、都にて代官を務めていた義経が、高野山側の訴えを認めた時のもの。(高野山霊宝館HPより)
画像はコチラ↓
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/syoseki.html
 
阿河荘
 
日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

紀伊国有田(ありだ)川の上流に位置する山間の荘園(しょうえん)(和歌山県有田郡有田川町)。阿弖川荘、阿瀬川荘とも書く。10世紀末には石垣上荘(いしがきかみのしょう)ともいわれた。中納言(ちゅうなごん)平惟仲(これなか)が1001年(長保3)に京都の白川寺喜多院(寂楽寺(じゃくらくじ))にこの荘園を寄進した。12世紀なかば以降、領有をめぐって寂楽寺と高野山(こうやさん)が争っている。1210年(承元4)御家人湯浅氏が地頭職(じとうしき)に補任され、以後、寂楽寺(本家職は円満院)、高野山、湯浅氏の三つどもえの争いが展開する。1275年(建治1)の有名なかたかな書きの百姓申状は、寂楽寺と地頭との争いのなかで、『貞永(じょうえい)式目』の注釈書『唯浄裏書(ゆいじょううらがき)』の作者で寂楽寺雑掌(ざっしょう)斎藤唯浄が書かせたものである。阿河荘は上、下からなり、12世紀には田地計100余町である。1304年(嘉元2)円満院は領主権を高野山に譲ったが、湯浅氏と高野山の争いはなお続いた。
昨年訪ねたときは、「真田丸の時代と高野山」の展示が行われていました。
 
Img_2435

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (1)
|

高野山を訪ねて(15)金剛三昧院  本堂~経蔵

本堂
Img_2419

ご本尊は愛染明王。

愛染明王像は、源頼朝の等身大の念持仏で、仏師・運慶の作であると伝えられています。

本尊の脇には源頼朝・北条政子、足利尊氏・直義の位牌が安置されているそうです。

 

経蔵
Img_2416

経蔵は多宝塔と同じく、貞応2(1223)年頃の建立で、建築様式が東大寺正倉院などと同じ校倉造りをしており、重要文化財に指定されています。

内部には「高野版」と呼ばれる経典が書かれた版木が、500枚以上収められているそうです。

(金剛三昧院HP参照)

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (4)
|

高野山を訪ねて(14)金剛三昧院  多宝塔~本坊、庫裏

多宝塔

Img_2413

国宝の多宝塔北条政子源頼朝の逝去に伴い創建した禅定院の規模を拡大し、金剛三昧院と改めた際、造営することになったものです。

建立は貞応21223)年、高野山で現在残っている、もっとも古い建立物で多宝塔としても、滋賀県大津市の石山寺に次いで二番目に古いものだそうです

  

本坊、庫裏

Img_2415 Img_2417

大広間の襖絵は、室町時代中期(1400年代)に活躍した小栗宗丹(おぐり・そうたん)によるもので、金地著色梅花雉子図(こんぢちゃくしょくばいかきじず)という図柄が描かれています。

大広間の襖と壁面をあわせ、14面が重要文化財に指定されています。

(金剛三昧院HP参照)

応援のポチッのご協力お願いします。wink

にほんブログ村 歴史ブログ 歴女・女性歴史ファンへ
にほんブログ村


偉人・歴史人物 ブログランキングへ

| | コメント (6)
|

« 2017年2月 | トップページ