高野山を訪ねて(20)奥之院 棺掛桜
弘法大師入定7年後の承和9年(842)、嵯峨天皇が崩御され、御棺を京都の嵯峨野に安置したところ、高野山から天人が降りてきて、御棺を担いで高野山の壇上伽藍近くの山上に奉安しました。
弘法大師が禅定からお出ましになり、弟子たちとともに天皇を荼毘に付し、その御骨を覚鑁坂の西に納め、桜を植えたと伝えられています。
弘法大師が禅定からお出ましになり、弟子たちとともに天皇を荼毘に付し、その御骨を覚鑁坂の西に納め、桜を植えたと伝えられています。
この桜が棺掛桜と呼ばれています。
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コメント
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これは嵯峨天皇のお墓ですね!
「棺掛け桜」とは上手く名付けたものです。
投稿: willy_tsuguo_shikata | 2017年6月30日 (金) 09時11分
四方さん、コメントありがとうございます!
これはうまいネーミングですよね。
どんな桜か春にまた行ってみたいです😄
投稿: しずか | 2017年7月 5日 (水) 07時06分