高野山を訪ねて(22)奥之院 密厳堂
中の橋の近くにある密厳堂(みつごんどう」には、高野山を離れ、新義真言宗を唱え、根来寺を興した覚鑁(かくばん)上人興教大師を祀るお堂です。
覚鑁(かくばん)上人が祀られていることから覚鑁堂とも呼ばれています。
参道はこの辺りで43段の石段の坂道になっており、坂の上に覚鑁堂があることから「覚鑁坂」と呼ばれています。
覚鑁
平安時代の僧。新義真言宗の開祖。諡 (おくりな) は興教大師。 13歳のとき仁和寺で剃髪得度し,奈良で法相の奥義を学び,高野山に登って密印を受け,三井の覚猷 (かくゆう) や醍醐の賢海などから秘訣を授けられた。大治1 (1126) 年紀州石手邑に伝法院を建立し,天承1 (31) 年高野山に講堂,密室,密厳院などの大伝法院を建て伝法大会を行なった。のち長承3 (34) 年白河法皇の詔勅によって大伝法院座主となり,金剛峰寺座主をも兼任。翌年辞して密厳院にこもり,もっぱら密観を修習して自性加持身説を唱えた。このため山僧が突然蜂起して密厳院を襲ったので,覚鑁は難を逃れて紀州根来にこもった。その後この地に円明寺を建て,ここに寂す。著書には『五輪九字秘釈』『孝養集』などがある。その後,彼の門弟たちは高野山と相いれず,新義真言宗という一派を立てた。また事相の伝流を伝法院流という。
(コトバンクより)
応援のポチッのご協力お願いします。
« 高野山を訪ねて(21)奥之院 姿見の井戸と汗かき地蔵 | トップページ | 高野山を訪ねて(23)奥之院 芭蕉の句碑 »
コメント
« 高野山を訪ねて(21)奥之院 姿見の井戸と汗かき地蔵 | トップページ | 高野山を訪ねて(23)奥之院 芭蕉の句碑 »
密厳堂(みつごんどう」には、高野山を離れ、新義真言宗を唱え、根来寺を興した覚鑁(かくばん)上人興教大師を祀るお堂です。
さすが、2度宿泊されていいところを記事にしておられますね!
投稿: willy_tsuguo_shikata | 2017年7月28日 (金) 10時15分
四方さん、コメントありがとうございます。
奥之院は見所満載ですね!
なるべく細かく記事にしたいと思っています。
投稿: しずか | 2017年7月28日 (金) 12時37分