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2017年7月27日 (木)

高野山を訪ねて(22)奥之院 密厳堂

中の橋の近くにある密厳堂(みつごんどう」には、高野山を離れ、新義真言宗を唱え、根来寺を興した覚鑁(かくばん)上人興教大師を祀るお堂です。
 
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覚鑁(かくばん)上人が祀られていることから覚鑁堂とも呼ばれています。

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参道はこの辺りで43段の石段の坂道になっており、坂の上に覚鑁堂があることから「覚鑁坂」と呼ばれています。

覚鑁
平安時代の僧。新義真言宗の開祖。諡 (おくりな) は興教大師。 13歳のとき仁和寺で剃髪得度し,奈良で法相の奥義を学び,高野山に登って密印を受け,三井の覚猷 (かくゆう) や醍醐の賢海などから秘訣を授けられた。大治1 (1126) 年紀州石手邑に伝法院を建立し,天承1 (31) 年高野山に講堂,密室,密厳院などの大伝法院を建て伝法大会を行なった。のち長承3 (34) 年白河法皇の詔勅によって大伝法院座主となり,金剛峰寺座主をも兼任。翌年辞して密厳院にこもり,もっぱら密観を修習して自性加持身説を唱えた。このため山僧が突然蜂起して密厳院を襲ったので,覚鑁は難を逃れて紀州根来にこもった。その後この地に円明寺を建て,ここに寂す。著書には『五輪九字秘釈』『孝養集』などがある。その後,彼の門弟たちは高野山と相いれず,新義真言宗という一派を立てた。また事相の伝流を伝法院流という。
(コトバンクより)

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コメント

密厳堂(みつごんどう」には、高野山を離れ、新義真言宗を唱え、根来寺を興した覚鑁(かくばん)上人興教大師を祀るお堂です。
さすが、2度宿泊されていいところを記事にしておられますね!

四方さん、コメントありがとうございます。

奥之院は見所満載ですね!
なるべく細かく記事にしたいと思っています。

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